日蓮正宗と創価学会の対立

この課程で、日蓮正宗との厳しい対立があった。もともと日蓮正宗の信徒団体だったのが、創価学会の急成長により両者の力関係が変わったのが原因となったのである。日蓮正宗からは「自分たちに従うべき団体なのに生意気だ」という攻撃がされ、創価学会としては「学会の成長で日蓮正宗は大きな恩恵を受けたのに、勝手過ぎる」ということで対立が深まっていく。

両者の言い分を聞くと、学会の言い分のほうがもっともな点が多いようにも見えたが、組織論においてそう単純には割り切れるものではないので、苦悩が続いた。

つまり、創価学会はその出発点において、その会員を日蓮正宗の寺院の檀家とすることを約束した。その結果、創価学会員は新興宗教としては珍しく檀家となるべき寺院を持ち、葬儀なども僧侶を招いてできたのだが、各寺院の檀家は飛躍的に増えて豊かとなり、学会の立場からは我慢できない不祥事も出てきた。また、日蓮正宗の内部での内部対立に創価学会も巻き込まれたりもした。

いずれにしろ、巨大な会員数を集めたのは創価学会であるが、建前としては信徒団体であるので、日蓮正宗側に主導権はあるという無理な関係だった。

そのあげく、主として創価学会が集めた355億円という資金で1972年に建立された大石寺の巨大な白亜の正本堂を1998年に日蓮正宗が50億円かけて解体するという馬鹿げた一幕もあり、両者は絶縁した。

そうした中では、公明党も創価学会に対する攻撃とどう戦うかが大きな課題となった。そこで、宗教法人を直接に監督する立場にある東京都政から嫌がらせを受けないために、都政を自派で掌握することが重要な課題だと捉え、東京都議会選挙に国政選挙以上に力を入れることになったのは、そのためである。

また、細川政権から村山政権の時期に、政教分離の観点から自民党による創価学会公明党攻撃が行われたが、少なくとも結果的に見れば、旧統一教会への批判がこの創価学会批判のうねりになかで世間の注目を浴びなくなったのは事実だ。

また、自民党機関誌である『自由新報』が週刊誌報道などに基づく誹謗中傷を取り上げ謝罪に追い込まれるようなことがあって矛を収めざるをえなくなった経緯は、『自公連立が生まれるまでの対立と和解の波瀾万丈と背景』で説明したとおりだ。