公明党本部Wikipediaより

創価学会は、1930年に牧口常三郎(尋常小学校校長)を会長として、「創価教育学会」して始まり、37年に日蓮正宗の法華講(信徒組織)となった。

第2次世界大戦中の43年、牧口ら幹部が「教育勅語」の問題点を批判し治安維持法ならびに伊勢神宮に対する不敬罪で逮捕され、牧口は拘留中に獄死した。

戦後、後継者の戸田城聖は「創価学会」に改称し、52年に独立した宗教法人となり、「折伏大行進」という大規模な布教活動が行われ、創価学会の勢力は急拡大する一方、在来宗派との確執も生じた。

60年に池田大作(現・名誉会長)が第3代会長に就任してますます信者は拡大し、62年には「公明政治連盟」を創設し、64年には「公明党」を結成した。

「創価」とは「価値」の「創造」を意味し、その価値の中心は「生命の尊厳」の確立に基づく「万人の幸福」と「世界平和」の実現だとしている。

教育問題の重視と平和探求を特色とし、海外での布教にも成功している。会員同士の助け合いを体現しようと、農村共同体から離脱した都市住民など庶民をメインターゲットにしたことで実質的に日本最大の教団となり、さらにヨーロッパにおける教会とキリスト教民主主義政党に似た関係を持つことで公明党を成立させた。

他宗派に対する厳しい攻撃が反発を招くことがあるが、これは日蓮宗系の一般的な特徴であるので、創価学会を特殊視するのは勘違いだ。

3代目の池田は天才的な説伏の名手であり、優れた文筆家であり、カリスマ性に満ちた組織の長で、浄土真宗の隆盛をもたらした蓮如などに通じるところがある。知識に渇望した戦後という時代の読書人であり、東西古今の思想家たちから獲得した知識を基礎にして、平和と生活向上、精神の豊かさを願う戦後日本人の価値観に沿った思想体系を打ち出した。東洋や西洋の思想のいずれからも違和感がなく、世界各国で広まることができた。