サ-キスはレバノン在住のアルメニア人、イラクのフセイン元大統領の代理人とも言われ、筆者の別の友人CIA工作員とのつながりももちろんあった。CIAからも、サーキスが一時期CIAの仕事をして、その後ブッシュ父との確執があり、米国に戻れないことも聞いた。
彼がやったことは米国の国家機密も絡み、北朝鮮が動いた偽100ドル札偽造にも関係するなど、波乱万丈。米国の大手出版社、サイモン・シュースターが自伝を書けば800万ドル払うと言った。彼は書かないで死んだ。筆者が代わりに書きたいと思っている。
筆者が密着している時、サーキスはアフリカのリベリアの指導者争いで、AK47系などの武器を売りまくっていた。北朝鮮や中国の取引交渉人が、彼の自宅にアジアでの使用につながる商談で来たのも、筆者は目撃した。
リベリア指導者の1人の独裁者、テーラー将軍はボウトの顧客だったと聞いた。筆者はリベリアの別の指導者で兵器を買いに来た大統領候補、ボウリ―氏とも親しくなった。現在、彼との交信が途絶えた。生死不明だ。
ボウトはリべリア以外にも、シエラレオネやアンゴラにも武器取引に関与した。
サーキスは一部米国寄りのスタンス。ボウトは反米のロシア諜報員といえる立場だった。
ボウトはソ連崩壊を1つの切っ掛けに、アフリカだけでなく、アフガニスタン、さらにアルカイダへの兵器提供に関与して莫大な利益を上げたとされる。ニコラス・ケイジ主演の映画の主人公のモデルになったのは有名な話だ。
ボウトはソ連の元軍人、基本的に全てが反米につながる動きを取っていた。筆者の友人仲間のDEA捜査官は、国務省などとも協力して、長年、隠密調査を継続した。通常仲があまりよろしくないCIAとも、今回は一時期協力したときく。
年貢を収めさせたのは2008年。タイにおける囮捜査だった。DEA捜査官がコロンビアの左翼ゲリラの売人を装い、ボウトに商談を持ち掛けた。その頃ボウトは充分儲けており、自身で商談現場に出向くことは殆どなかった。本当に綱渡りの作戦で、用心深いボウトに気づかれて逃げられる直前だった。しかしやっと起訴に足る証拠を取り逮捕、タイから米国に移送した。口封じのためロシアのKGB工作員に殺されないように、厳重な警戒だった。
NYの裁判では、コロンビア左翼ゲリラが、米軍攻撃のために使用する地対空ミサイルを売却しようとした容疑、さらに米国人殺害などで有罪。(殺害は共謀罪。ロス疑惑三浦事件で使われた日本にはない概念)禁固25年の刑で、米国内の刑務所で今回釈放されるまで服役していた。10年近くの刑期が残っている。釈放の一報で、歓声を上げたに違いない。今回妻と母親と涙の再会をした。
この拙稿の最初の言葉「ふざけるな」とは、米国の司法省、捜査・諜報関係者の不満だ。