時を経て、いま日本の安全保障は転換点を迎えている。「敵基地攻撃能力」を持つといい、今後5年間の防衛費を1.5倍超にするという。専守防衛を揺るがす重大事なのに何とも慌ただしく議論が進んでいるようで心配になる。
そもそも国を守るとは何なのか。大切なのは国民一人ひとりの命が最大限に尊重され、暮らしが守られること。領土防衛や抑止力強化を叫ぶのもいいが、武力だけで語れるほど単純な話ではあるまい。
全国の大学「入試出題数No.1」の看板コラムにしては、底が浅い。
公正を期そう。朝日が「反撃能力」と呼ばず、あくまでも「敵基地攻撃能力」と呼ぶのはよい。理由や動機は違えど、私もほぼ同意見である(拙著最新刊『ウクライナの教訓』)。
だが、その保有を批判しつつ、同時に「今後5年間の防衛費を1.5倍超にする」ことに対して、「専守防衛を揺るがす重大事なのに何とも慌ただしく議論が進んでいるようで心配になる」とは、いったいなんだ。
朝日記者が「心配になる」のは勝手だが、問題は、その原因ないし理由であろう。それが、「何とも慌ただしく議論が進んでいるようで」ときた。こんな腰の引けた表現が許されるなら、「天声人語」など、誰にでも務まるであろう。
そもそも国を守るとは何なのか。その結論もおかしい。「大切なのは国民一人ひとりの命が最大限に尊重され、暮らしが守られること」ではない。あえてコラムを借りれば、「国体」の維持(國體護持)である。
けっして暴論ではない。歴代総理以下、政治家もマスコミも勘違いしているが、国民一人ひとりの命や暮らしを守るのは、警察や海上保安庁の仕事であり(警察法2条など)、「国を守る」べき自衛隊の任務ではない(自衛隊法3条他)。
「領土防衛や抑止力強化を叫ぶのもいいが、武力だけで語れるほど単純な話ではあるまい」との一文にも驚く。なるほど「武力だけで語れるほど単純な話」ではない。だが、武力がなければ、いくら「領土防衛や抑止力強化」を叫んでも、むなしい。それが「ウクライナの教訓」ではないのか。
いや、それ以前に、いったい誰が「武力だけで」語ったというのか。まず、その実名を挙げよ。これほどひどい印象操作も久しぶりではないか。この秋に筆者が交代するまで、ここまで最低のコラムは私の記憶にない。
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