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アラブ人が「美しい」と名付けた古代ローマの都市遺跡
「美しい遺跡」の「美しいモザイク」を収蔵する博物館

アラブ人が「美しい」と名付けた古代ローマの都市遺跡

【アルジェリアその③】「美しい」と名付けられた古代ローマ遺跡と、皇帝の名前の都市
(画像=(カラカラ帝が建造した「凱旋門」),『たびこふれ』より 引用)

国際都市コンスタンティーヌから西に110km、首都アルジェから東に250km、地中海の海岸線から南へ内陸に40km、標高900mの山がちで傾斜がある高原に、ローマ人たちはベルベル人たちを抑制する目的で、紀元前46年にローマの属州として「クイクル」が誕生します。ローマの植民都市は一般的には平地に造られることが一般的ですが、その中でもクイクルは街全体が傾斜を有する珍しい都市です。

【アルジェリアその③】「美しい」と名付けられた古代ローマ遺跡と、皇帝の名前の都市
(画像=(クイクルの街を南北に貫く「カルド」),『たびこふれ』より 引用)

街全体に「デクマヌス(東西に貫く通り)」が無く、「カルド(南北に貫く通り)」のみが走る街は、周囲の山並みと合わせてとても印象的です。紀元98年にローマ帝国の皇帝で、五賢帝と称されるネルファ帝によって植民都市に昇格しました。紀元前後から紀元1世紀に掛けて、ネルファ帝によってクイクルは「フォルム」と呼ばれる公共広場や、ローマの三神であるジュピター(ゼウス)=天空神、ジュノー(ユノー)=結婚・出産を司る女神、ミネルヴァ=技芸を司る神を祀った「カピトリウム神殿」が紀元前後から造られました。

「美しい遺跡」の「美しいモザイク」を収蔵する博物館

【アルジェリアその③】「美しい」と名付けられた古代ローマ遺跡と、皇帝の名前の都市
(画像=(丘の斜面と利用した「ローマ劇場」),『たびこふれ』より 引用)

紀元2世紀から3世紀に掛けて、セプティミウス・セウェルス帝からの庇護を受けて「セプティミウス・セウェルス神殿」が216年に建造され、さらにその息子であるカラカラ帝も街の栄誉を讃えて「カラカラ帝の凱旋門」を229年に、3千人を収容したローマ劇場も2世紀に建造されました。最盛期には人口1万5千人を擁し、初期キリスト教の教会や洗礼堂が造られますが、5世紀にヨーロッパのイベリア半島から襲来してきた、ゲルマン系ヴァンダル人の攻撃を受けて、街は廃墟になりました。

【アルジェリアその③】「美しい」と名付けられた古代ローマ遺跡と、皇帝の名前の都市
(画像=(フォルムから望む「セプティミウス・セウェルス神殿」),『たびこふれ』より 引用)

7世紀にイスラム教と共に到来したアラブ人が廃墟を見て、その美しさから彼らが持ち込んだアラビア語で「美しい」を意味する「ジェミラ」と名付けられました。ジェミラでは遺跡もさることながら、遺跡の入口にある「モザイク博物館」も欠かすことができません。アルジェリアに古代ローマ時代のモザイクを収蔵する博物館があることはあまり知られていませんが、館内には高さ8mに及ぶ、壁一面のモザイクが収蔵されているなど、世界的にも評価も高く必見です。

残念ながら、館内は写真撮影が厳禁になっていますが、長い時間を経て精巧に作られた、モザイクは見ているだけでため息が出るほどです。モザイクは狩猟や農作業の様子が活き活きと描かれ、遠く離れたローマの栄華を支えた「ローマの穀倉」の豊かな暮らしを今に伝えてくれます。