東京都にはユネスコの世界遺産が2件、登録されています。

ひとつはフェリーで片道25時間半かかる、都内(!)であること忘れがちな「小笠原諸島」と、もうひとつがJR上野駅から徒歩で行ける上野公園内の「国立西洋美術館本館」です。今回は国立西洋美術館を設計した建築家が着想のヒントを得たとされる、現在でも敬虔なイスラム教徒たちが暮らすオアシスを、アルジェリア南部に訪ねました。電車で簡単には行けませんでしたが...。

目次
「国立西洋美術館本館」は3大陸で登録された世界遺産のひとつ
近代建築の巨匠とアルジェリアとの出会い

「国立西洋美術館本館」は3大陸で登録された世界遺産のひとつ

【アルジェリアその④】近代建築の巨匠に影響を与えた、中世イスラム教の村「ムザブ」へ
(画像=(上野公園にある「国立西洋美術館本館」)、『たびこふれ』より 引用)

上野公園にある「国立西洋美術館本館」は、正しくは「ル・コルビュジェの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」の構成資産のひとつとして、日本以外に6ヶ国(フランス、アルゼンチン、ベルギー、ドイツ、インド、スイス)、3大陸(ヨーロッパ、アジア、南アメリカ)の広範囲で、2016年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。登録名にある「ル・コルビュジェ」とは建築家の名前でスイス生まれ、フランスで暮らし、1955年に「国立西洋美術館本館」の基本設計を行い、4年後の1959年に竣工しました。彼が設計した他の代表的な16作品と共に、合計で17作品が世界文化遺産に登録されており、初めて複数の大陸にわたって登録されています。

【アルジェリアその④】近代建築の巨匠に影響を与えた、中世イスラム教の村「ムザブ」へ
(画像=(2019年に開催された「ル・コルビュジェ展」),『たびこふれ』より 引用)

ル・コルビュジェ(1887-1965)は「近代建築の巨匠」のひとりと称され、1926年39歳の時に「近代建築の五原則」を発表して注目を集めました。彼の「近代建築の五原則」に基づき、理想に最も近かったとされる美術館が、先に挙げた「国立近代美術館本館」です。

ル・コルビュジェの生涯、考え方は下記にまとめられていますので、ご興味をお持ちの方はご参照ください。

既に彼の企画展自体は終了していますが、彼が設計した世界遺産の美術館には入館できます。通常、個人が所有、管理している住居や施設は外観だけで、内部は見られないので、名画鑑賞を兼ねて行ってみてください。

近代建築の巨匠とアルジェリアとの出会い

【アルジェリアその④】近代建築の巨匠に影響を与えた、中世イスラム教の村「ムザブ」へ
(画像=(フランス時代の建物が並ぶアルジェ市内の街並み),『たびこふれ』より 引用)

北西アフリカの一角位置するアルジェリアは、1962年までフランス領でした。ル・コルビュジェは1930年に首都アルジェの都市計画を次々に発表し、1937年50歳の時には「アルジェ地方計画委員会」の委員に選ばれています。1931年にはアルジェで講演会を行い、その足で首都アルジェから南に600km離れた、伝統的で敬虔なイスラム教徒たちが住む「ムザブ」を訪れ、その独特の街並みに魅了されて着想のヒントを得ています。

しかし、ル・コルビュジェのアルジェの都市計画は、残念ながら陽の目を見ませんでした。背後の山がアルジェ港まで迫り、海岸沿いに広がるわずかな平地と坂が折り重なるアルジェで、彼の都市計画が実現していたら...と思うと興味は尽きません。

【アルジェリアその④】近代建築の巨匠に影響を与えた、中世イスラム教の村「ムザブ」へ
(画像=写真4.jpg (村の中央にあるイスラム教のモスク),『たびこふれ』より 引用)

その後ムザブは、1982年に「ムザブの谷」の名称で世界文化遺産に登録されています。ムザブは空港もある玄関口の主都ガルダイアを中心とし、エル・アーティフ、ブヌーラ、ベニ・イスゲン、メリカ、5つのオアシスがある村の総称です。現在はアルジェからの空路で1時間半の直行便もあるムザブですが、ル・コルビュジェが訪れた当時は開発も進んでおらず、砂漠によって周囲を隔絶されたオアシスがあるだけで、600kmの道中は過酷であったことは想像に難くありません。