ただし、浄土真宗ほどではないが、日蓮宗も本当に勢力が拡大したのは戦国時代のことだ。戦乱の中で京都の町衆に支持されたのである。西陣など京都の古い町を歩くと、驚くほど日蓮宗の寺院が多い。商工業者には、来世よりも現世での救済を目指すほうが受けがよかったし、現代の仏教系新興宗教のほとんどが日蓮宗系であることも同じ理由から説明できる。
一言でいえば、密教は貴族に、禅宗は武士に、浄土系は農民に、日蓮系は商工業者など都市住民に支持されやすいという性格を持っている。
江戸時代には、幕府によって「檀家制度」ができて信者は固定化され、布教の自由もなくなった。そこで、各宗派は布教でなく、与えられた檀家を深く取り込むことに努力を傾注した。頻繁に「〇回忌」といった行事をするように誘導したのがその典型である。
明治になって神道のほうから仏教との関係を絶ったが、互いに強く排除しなかったし、キリスト教が自由化されても、多くのキリスト教徒は神社に詣でたり仏教の墓に入ったりすることを拒否しなかった。キリスト教信者は、人口の1%を超えたことはない。
一方、幕末以降に結成された新宗教は、葬式仏教化した既成仏教が失った宗教らしい性格を取り戻し、崇拝の対象となる教祖様も存在する。天理教(江戸末期)、黒住教(1814年)、金光教(1859年)など神道系の諸宗教があり、明治中頃に大本教、昭和初期には生長の家が生まれた。いずれも関西や瀬戸内などの社会的状況が生んだ宗教だといえよう。
日蓮宗系の霊友会は1920年に創立され、法華経の先祖供養を重視し、先祖の成仏が子孫の幸福に深く関わっているという考えで、そこから立正佼成会などいくつもの団体が分派している。創価学会(1930年)は日蓮正宗の信徒団体から発展した。
幸福の科学、阿含宗、エホバの証人など1970年以降に成長した「新宗教」はメディア戦略で成功し、インテリ層に強いが、生活のリアルな苦悩より空しさや生きがいの欠如に対する回答を求める。86年に設立された幸福の科学が、イエス・キリストや孔子などの偉人・宗教家が教祖の口を通じて語ると称しているのは、その象徴といえよう。
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