安倍の地球儀を俯瞰する外交は夙に有名だが、岸外交は「自由主義国としての立場の堅持」「対米外交の強化」「経済外交の推進」「国内政治に根差す外交」「貿易中心の対中国関係」の五原則を打ち出していた。その「国内政治に根差す外交」についてこう述べる。

本当に強力な政治を行おうとすれば、内政の上にその外交政策が置かれて、内政との関連において組み立てていくことが重要だ。・・外交官というものは一種特殊な立場であって、専門的な傾向を持つのだけれど、それでは駄目なんだ、国内における政治との噛み合い、国内的な根っ子と絡み合わせて外交政策を立案し、施行していかなければ。

政治家を目指していた岸は、我妻栄と一番を競った東大法学部から農商務省に進んだことを保証人だった上山満之進(農商務省次官や台湾総督などを歴任)に事後報告した。その際、なぜ内務省に行かなかったかと叱られた岸は、「これからの政治の実体は経済にあると考えたから」と反論した。

「大衆との触れ合い」は「官僚にはできない」、「政治家でなければ無理だ」と岸は言う。「大衆と対峙するのではなく、中に入って行く」のだが、「政治家は大衆よりも数歩前進しておって、大衆への指導力を持たなければだめだ」、やはり「指導性と見識がなければ、大衆に溶け込んでしまう」と述べる。

また58年秋に発言した「憲法九条廃棄」に野党が反発したことついては、こう自説を開陳する。

私がものを言えば、新聞などがナニすることは承知の上だ。・・マスコミ対策なんてものは考えていなかった。彼らはどうせ左巻きで私の思想とは違うんだから。・・日本の当時の情勢からいって、誰かが一遍は神髄に触れた問題を国民の前にぶつけて、国民をして真剣に考えさせなければいかん、という考えだった。腹の底では何かを持っていて、口先ではいい加減なことをいうような政治家では駄目だ。

岸は民主政治におけるリーダーシップをその要諦として強調した。「大衆に追随し、大衆に引きずり回される政治が民主政治とは思わない」とし、「民衆の二三歩前に立って、民衆を率い民衆と共に歩むのが本当の民主政治のリーダーシップ」だと言う。

この「指導性と見識」そして「リーダーシップ」こそ、しっかり安倍に染みていたものだ。が、東大コンプレックスからか、財務省人脈に操られている感がある上、世論を気にして右顧左眄する岸田には、残念ながら欠けている資質といえまいか。

「国際政治の基本は力と力」と岸は言う。だがそれは「単に軍事力だけでなくて経済力なども含む」し、「約束したことは必ず実行する」とか「自分の狭い利己的な考えではなく、世界の平和と安全という観点から動く」という「国際信義」が大事だとする。

まさに国際社会から高く評価された安倍外交の神髄を見る思いだ。そして安倍は平和安全法制を整備して岸の成した改正安保の実質を深化させ、防衛費を倍増すべきと遺言した。これらは吉田と岸が進めて来た、敗戦の傷深い日本を普通の独立国にする政治の延長線上にある。

最後に極東条項。岸の改正安保の第6条前段は「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許可される」と規定する。安倍はトランプにここを説いた。

改正時、極東の範囲は与野党間や与党内で揉めた。が、岸は「極東」の範囲などは「常識的に考えればいいんだ」、だが共産圏の例えば沿海州などで「何か問題が起こったら極東の範囲外だから知らないと言って逃げるかどうかは別問題」とし、「その時の問題の起こり方いかんによる」と動じなかった。

安倍が唱えた「台湾有事は日本有事」には、「台湾は共産圏ではない」との意思が込められているように思う。が、無念にもそれ確かめる『回想録』がない。