中国Shein(シーイン)が日本の原宿にリアル店舗をつくり、そこに4000人が行列を成したことが話題となっている。また、11月は外資による大手小売、アパレルの買収案件が相次いだ。縮み続ける日本市場だけで戦う企業には、さらに大きな困難が待ち受けていることは必至だ。そうした状況下、日本のアパレルがロールモデルとすべきがアダストリアだ。同社の強さの秘密と中期経営戦略の実現可能性、そしてあえて挙げるとする「不安要素」を分析した。なお、シーインの日本戦略も、アダストリアには多少なりとも影響は与えそうである。
外資によるそごう・西武、マッシュホールディングス買収

11月中旬は、そごう・西武とマッシュホールディングスという、2000億円を超える企業買収のメガディールが2本続いた。しかもそれは多くの日本人が「オワコン」と思っているアパレルを、外資ファンドがかっさらっていったという点で共通する。
雇用が守られ、経営が正常化され、法人税が日本に納められるのであれば、その会社の株主がどこの国籍であろうとも関係ない。戦略についていえば、百貨店は業態を変え、アパレルは海外にゆくことで、生き残りを賭けることになる。結局、日本人は「競争力」を高めるための合理的な判断が自分たちではできない、ということだろう。残念ながら、それは今も昔も同じ、悲しい性を背負っているようだ。
しかし、大型買収案件には「罠」も潜む。ファンドの意地の張り合いか、事業評価をするコンサルの売上主義か、あまりに高いバリエーション(企業評価額)をつければ、その分だけ高いリターンを追求せねばならず、ハードルが上がる。例えば2018年再上場を果たしたとたん株価が下がったワールドの二の舞にならないか、ということだ。
過大な評価をしたことによる「人災」が原因なのに、「やっぱりアパレルはオワコンだ」と総括されるからだ。
そうした「アパレル=オワコン」という認識が広がることで、国内勢の投資優先度が極めて下がっている。実際アパレルは、破綻したレナウンに買い手が現れなくなった後、目立ったディールがなくなり、産業ポートフォリオの末席に座らされ続けてきた。アパレルビジネスは、アジアで大きく成長している数少ない産業であるにも関わらず、縮小する日本市場しか見ていないのだ。
TOKYO BASEの赤字は不振ではなく「守りの経営と攻めの投資」の結果
日本人のメディアリテラシーの低さも問題だ。私の「アパレル改造論」では一年前から登場し、語り尽くされているShein(シーイン)のことを読みかえせば、昨今のTVのシーインの露出は典型的な「戦略PR」の結果だということが容易にわかる。メディアやPRに踊らせられやすい国民性を示しているとも言える。
基本を知らない評論家を容易に掲載するメディアにも問題がある。あるメディアで「TOKYO BASEが中国不振赤字の見通し」という記事を載せていた。よく読んでみると23年1月期通期業績予想が、終わりが見えないコロナの流布とゼロコロナ政策のイタチごっこによる商業施設の不振から、いくつかの店舗撤退により売上が前回発表予想比で21億円の減少、営業利益も同13億円減り、1億円の赤字となる。また撤退に伴う、特別損失を約4億円計上する結果、逸失利益が合計で15億円程度となり、結果、純利益が7億円の赤字となるということなのだ。これで、「中国不振で赤字」である。
赤字には良性の投資赤字と悪性の構造的赤字の種別を見極める必要があり、営業利益の下にでるコストは、一過性の利益や損失であり、良性か悪性か判断付かぬまま「赤字」と報道する評論家は、「正常収益状態」といって、一時的な収益や損失、つまり新規事業や撤退予定の事業から生じる項目などを除外した場合の損益計算書が真の競争力を表すことを知らないのだろう。都合の良いように営業利益と純利益をつかっているところが素人の作為性を感じる。
中国へのエントリー戦略は、安易にアリババ傘下に陥るECから出るのでなく、まずは、モールの良い位置に出店することが重要であることは過去述べた通りで、それが今回は中国の「ゼロコロナ」により裏目に出た、ということなのである。
海外戦略が奏功し好調なバロックジャパンリミテッドと、忘れ去られそうになっているマークスタイラーの違いをよく分析することだ。このように、意図的か無知からか、忙しい我々は、「活字」を容易に信じてしまいがちだし、極論をいえば表題だけで全てが分かった気になってしまう。この場合、正しい分析は「中国のコロナ対策による店舗撤退で売上5%ダウン。15店舗出店の攻めの投資に期待」というのが、正しい表題の可能性もあり、勝ち負けをわける赤字の性質が「良性か悪性か」の分岐点は示されていない。
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日本のアパレルがアダストリアを目指すべき理由

こうした混沌としたアパレル業界で、粛々と巨大企業アダストリアを実にうまくドライブしている経営陣は強いトップダウンであると想像される。企業統治については分かりかねるので、戦略面から見た私の評価をご紹介したい。私は、記者でなく経営コンサルタントだ。私たちは、仕事を始めたときから「事実の羅列に価値はない、事実のつながりから得られるストーリーを見抜け」と幾度も怒鳴られた。経営コンサルタントと記者の最大の違いは、私たちは必ずインサイト(分析・洞察)を提示するということである。したがって、コンサルの各論考には結論めいた話が常にでてくるが、そこには多くの隠された仮定や仮の前提が置かれている仮説であるということはお断りしたい。
さて私は、閉塞感漂うアパレル業界において、アダストリアの2023年2月期〜2026年2月期の中期経営計画を巨艦企業の舵取りのお手本としてご紹介したい。以下、アダストリアが22年10月に発表した初年度第2四半期の資料に沿って解説していく。
まず、アダストリアの23年2月期第2四半期決算説明から、23年2月期の着地、そして、同社の3カ年計画の目標値である「売上高2800億円、営業利益率8%、EC売上800億円」達成の可能性についてである。
結論から言えば、不測のパンデミックのようなことが起きない限り確実に達成できるだろうというのが私の視点だ。穴の開くほど同社の事業計画や説明動画、そして、計画初速を分析したが、アダストリアについて「外野という立場」から大きな懸念点が見つけられなかった。
しかし、「よくできました」ではコンサルタントとして芸が無い。多少の緊張感はどのような事業においてもあり得るわけだから、あえての見解、しかも、極めて個人的な意見として読んでいただきたい。まずは、アダストリアが力をいれているメタバースの「負」の可能性だ。メタバースとリテール事業の関係について、私は大いに疑問を感じている。PLMもそうだが、メタバースも複数の技術をシームレスに活用し、その得意領域と限界領域を見極め、大規模なビジネスモデル変革を伴わなければ大失敗をするのは一緒だ。
不安要素は「メタバース」事業

11月10日、米国メタ・プラットフォームズ (旧Facebook)のマーク・ザッカバーグCEOは、世界の全従業員の13%をリストラすると発表した。この大リストラの理由について、新型コロナウイルスの影響による世界のオンライン化、eコマースの成長が今後も継続するという予測に基づき巨額の投資を行ったが、予測が外れ想定を下回る収益となったと説明。しかし、これは、そもそも後述するメタバースの将来機会に関する考察と矛盾している。メタ・プラットフォームズの売上高は対前年同期比4%減の277億1400万ドル(約4兆円)で2四半期連続の減収。メタバース事業については40%の赤字となり、株価は決算発表の直後に20%以上も落ち込んだ。
メタ・プラットフォームズは、10年をかけてメタバース事業に投資していく方針を示しているし、アダストリアをはじめ、いくつかのアパレルもメタバースに参入している。だが、私はいまだにメタバース事業がどのようにアパレル事業からマネタイズし成長するのかが見えない。
あえて、メタバースのマネタイズの手法について、
ECをコンテンツ・コマースの初期段階とし、その発展段階とリンクして説明してみよう。メタバースが小売事業を拡大させるとする派の基本的な考え方である。ユーザーインターフェースの方向性が、よりリッチに、写真、3D、動画、AR(拡張現実)と発展していき、その最終形として世の中すべてが「デジタルの世界」に入るメタバースになる、とかなり強引な理屈ではあるが説明をつけることはできる。しかし、私は、ARとメタバースの間には、非常に深いキャズム(マーケティング用語でいうところの谷)があり、それは、「物理的衣料品」を買う手段なのか、そもそも衣料品も含めてバーチャルになってしまってもメタバースが本当にECコンテンツ・コマースの延長線上にあるのか、という素朴な疑問がある。私の中では、その答えは明確に「ノー」である。
少なくとも、単なる自分の人形(アバター)のような存在の服を、リカちゃん人形でさえ子供のおもちゃにしかならないものに、大の大人が服を売り買いすると本気で思っているのだろうか? 一消費者として大いに疑問だ。百歩譲って未確定な未来が待ち受けているとしても、小売業、例えば百貨店やアパレルが今投資すべきはメタバースなのかどうかをよく考えた方が良い、ということである。
私が「知らなきゃいけないアパレルの話」で今の日本企業や環境省が推進しているSDGsをはじめ、メタバースについても大衆化されたコマーシャルベースにのるために超えるべきキャズムは深く、後述する如く極めて戦略的アプローチが必要になってくる。
確かに、エルメスなどのスーパーブランドは、メタバース分野で商標を出願するなどしている。これを見て、「メタバースはビジネスになる」という人もいるようだが、過去スーパーブランドはルイ・ヴィトン、グッチ、ロエベなどが漫画とコラボしたとき大騒ぎをしたように、スーパーブランドは時にその斬新性と未来感をだすため、私たち消費者を驚かせるようなことをする。ただし、それは「驚き」による斬新性と未来感が消費者に伝わればよく、それらが定番商品になったということはない。あくまでもブランディングの手法なのだ。
メタバースをスーパーブランドの真似をして運用すると酷い目に遭う。そもそも、自分の食い扶持さえ確保できない貧しい日本で、仮想空間の人形(アバター)に対し誰が服など買うのかということだ。
「ならば、お前の考えをいってみろ」と言われれば、私は中長期的なデジタル戦略投資を以下の提言をしてきた。ARを使ったバーチャル試着ルームの実現と、いくつかの写真と距離、あるいは、カラダの数カ所の数字を入力すれば出てくるサイジング技術だ。あとは、衣料品の企画プロセスの中で、可能な限り属人化された領域をデータ処理できるようにすることだ。メタバース導入戦略について、私の考えをいうとしたら、まずは、過疎化がすすむ地方、そして、日本の30-40%といわれる赤字店舗を閉鎖、ただし、そこに暮らす少数の人へ店内空間体験をメタバースによって感じてもらう。
次に、自然に物販はスマホ上で実現されるサイジング技術を組み合わせ、ARによるバーチャル着替えでフィットした服を購買してもらうということがもっとも自然で合理的だ。このように、メタバースのようなハイテクは、企業の大規模なビジネスモデル転換をともない、複数の技術を組み合わせ、また、なぜ、その技術が必用なのか(例えば、過疎化された地方の店舗体験)を明確にしたカスタマージャーニーから考えてゆくのである。
