そして、マスク氏はTwitterの社員数を半分に減らした上に、更に残った社員に踏み絵を踏ませた。
自宅でのんびり仕事をすることはまかりならん。出社し、バリバリ働け。それが嫌ならさっさと辞めろ。
これらを直接、残った社員にぶつけた。まるで、高度成長期の日本企業のようではないか?
つまり、Twitter社は社員のほぼ全てが企業人としての危機感があまりに欠如していることを、マスク氏は指摘したいのだ。マスク氏はTwitter2.0を目指すとした。これまでのIT企業にありがちな、おしゃれで会社が何もかも面倒見て、意識高い系の社員が集まるような企業や、意識高い系のプライドだけが高い仕事をする人間はいらないと明言したのだ。
実はTwitter Japanユーザーの中には、まことしやかにTwitterのタイムラインやニュースフィード、認証バッジの付与対象者に対しての不信感は根強くあった。明らかに何らかの恣意的な作用が働いているのではないか?と、噂されていたのだ。それが図らずもイーロン・マスク氏によって露呈されることとなった。
自由な言論空間を維持するのは、本来はサービスを提供する側の責務であると同時に、ユーザーの目線も重要で、おかしいことをおかしいと言えるSNS空間であるべきだ。
私は以前から、TwitterのようなSNSは、本来、情報提供する側のプロの視点だ大事だと指摘してきた。
しかし、自称リベラルの意識高い系社員がいるような以前のTwitter Japanのような企業体質なら、イーロン・マスク氏のように大ナタを振るわない限り、改革は不可能だったかもしれない。
私が本当に言いたいのは、それほどにメディアもマスコミもSNSのような言論空間も、自称リベラルの意識高い系に蹂躙されつつあることを、ユーザーである我々はもっと理解する必要があると言うことだ。