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和歌山の観光
和歌山のグルメ

和歌山の観光

さてそれでは、今回のツアーで訪れた場所を中心に、和歌山の観光についてご紹介しましょう。

熊野古道

今回のツアーのメインテーマは「熊野古道を語り部と歩く」。

ところで、熊野古道とはいったいどういうところなのでしょうか。

熊野古道は2004年「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されました。

熊野古道の魅力をひとことで言うと「古(いにしえ)から続く"祈り"の道」です。

日本における観光のはじまりは「巡礼」の旅であり、熊野詣がその起源と言われています。

どこか懐かしい 和歌山県の魅力。旅行するならバスツアーがおすすめ!
(画像=『たびこふれ』より引用)

熊野古道を通って熊野三山〔熊野本宮大社、熊野速玉(はやたま)大社、熊野那智大社の3大社と那智山青岸渡寺の1寺)〕に参拝します。

熊野古道は、古くから山岳信仰の霊場として山伏が修行していた場所です。それだけ険しく厳しい場所だということでしょう。

熊野三山は、貴賤、老若男女を問わず、受け入れる懐の深さがあります。

熊野詣は平安時代に始まり、初期の頃は京の都の貴族が、鎌倉時代に入ってからは武士、そして室町時代以降は庶民もこぞって詣でるようになりました。

庶民が詣でるようになる最盛期には「蟻の熊野詣」と言われるほど多くの参拝者が訪れたそうです。

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(画像=『たびこふれ』より引用)

熊野詣とは「生きたまま入れる極楽浄土」。

浄土へお参りし、帰ってくるということは、死と再生を意味します。

生きながらに死んで、浄土に生まれ変わって成仏し、そして、再び現世に帰っていくというのが熊野詣。「よみがえりの聖地」なのです。

熊野詣は浄土往生の予行演習であり、何度も何度も予行演習を重ねることで、本番の浄土往生を確実なものにしようと当時の人々は願ったのです。

平安時代には京の貴族が盛んに熊野詣を行っていました。上皇や法王など貴い人々も足繫く詣でました。

907年に、宇多法王から始まり、上皇御幸の編成は49~814人、平均約300人で移動していたようです(なんとも大所帯のご一行ですね)。 

歴代上皇の中で一番多く熊野詣をしたのは、あの後白河上皇で、なんと34回。その次は、あの後鳥羽上皇でこちらも28回も詣でています。このおふたりは、それだけ極楽往生したいという思いが強かったのでしょう。

ちなみにあの尼将軍 北条政子も2回詣でているそうです。

熊野詣は、京から約1か月かけて歩いたそうです。往復なんと約600kmの道のりです。

熊野三山へ通じる熊野古道は1本ではなく、いくつかのアプローチがあります〔中辺路(なかへち)、小辺路(こへち)、大辺路(おおへち)、紀伊路、伊勢路など〕。

ルート例としては、京から大阪(今の天満橋辺り)まで船で行き、そこから熊野まで歩きます。往路は必ず徒歩で。自分の足で歩かないとご利益がないと考えられており、上皇自身も歩きました(復路は輿などを使ってもOK。)

歩くルートは、起伏の少ない海岸沿いの大辺路よりも、悪路でハードな中辺路を歩いた人が多かったようです。なぜならば、苦労をして歩く方がご利益があると信じられていたからです。

熊野古道には「王子(おうじ)」というものが点在しています。

王子とは、もともとは神様の子という意味で、貴族が参拝途中に休憩した場所であり、後に社(やしろ)や神社になっていきましたが、熊野古道上の道標の意味もあったようです。上皇の御幸の際には、王子で歌会なども催されたそうです。

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(画像=<熊野古道 中辺路の出発点にある滝尻王子(たきじりおうじ)>、『たびこふれ』より引用)

今回のツアーでは、中辺路の三軒茶屋跡から熊野本宮大社までの約3kmの山道を歩きました。熊野古道の中では初心者向けの優しいコースです。

熊野詣は、平安時代に始まり、戦国時代にいったん廃れましたが、江戸時代になって復活し、明治時代まで続きました。明治時代は主に兵隊さんが詣でたようで、戦争の必勝祈願や鍛錬の目的もあったのかもしれません。そして大正時代以降、熊野古道を通じた熊野詣は廃れ、徐々に人々から忘れられていったのです。

今はお伊勢さん参りがメジャーですが、熊野詣も人気を誇る参拝だったのですね。

語り部さん曰く、熊野古道内の紫外線は一般の50分の1で女性のお肌にも優しいそうです。最近は参拝目的の他にトレッキングルートとしても人気があります。(厳しいルートは本格的な登山装備が必要)

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(画像=『たびこふれ』より引用)

【熊野三山】

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(画像=<熊野本宮大社:未来の願いを叶える>、『たびこふれ』より引用)
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(画像=<熊野速玉大社:過去の過ちを赦す>、『たびこふれ』より引用)
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(画像=<熊野那智大社:現在の願いを叶える>、『たびこふれ』より引用)
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(画像=<熊野那智大社の隣にある那智山青岸渡寺(せいがんとじ)>、『たびこふれ』より引用)

熊野三山は、熊野本宮大社→熊野速玉大社→熊野那智大社の順番に詣でるのが一般的で、最初の到着社は熊野本宮大社です。熊野古道を歩いて苦難の末に熊野本宮大社にようやくたどり着いた時、参拝者の感動はいかほどだったことでしょう。今回私も熊野本宮大社に到着した時、古の人々に思いを馳せながら感慨深い気持ちで境内に入りました。

熊野本宮大社は元々は、大斎原(おおゆのはら)という場所にありましたが、明治22年の大洪水で大半の社殿が流されてしまいました。

今の熊野本宮大社がある場所に焼け残った社殿の一部が移築され、今年で130年になります。1900年間は旧本宮の場所である大斎原にあったのです。

今の大斎原には、高さ34mの大鳥居があり、流出した中四社・下四社を祀る石造の小祠が建てられています。その場に佇むと2000年の歴史の重みを感じます。

大斎原の大鳥居の大きさは圧巻です。

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(画像=<大斎原の社殿跡に続く並木>、『たびこふれ』より引用)

【那智の滝】

熊野那智大社エリアのシンボルといえば、那智の滝でしょう。最大落差133m(日本一)の大滝で、マイナスイオンが充満しているパワースポットです。

ちょうど私たちが訪れた時は、熊野那智大社 例大祭「那智の扇祭り」の準備中で、滝上部でしめ縄の交換がされているのを見ることができました。

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(画像=<那智の滝 しめ縄交換>、『たびこふれ』より引用)

こういうシーンに遭遇することはめったにないそうで、ラッキーでした。

ちなみに、那智山青岸渡寺の手水鉢の水は那智の滝の水で飲むことができます。

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(画像=<那智山青岸渡寺の手水鉢>、『たびこふれ』より引用)

【大門坂】

熊野古道のパンフレットなどに必ず出てくるシンボル「大門坂」。熊野古道というとこの坂をイメージする方が多いのではないでしょうか。

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(画像=『たびこふれ』より引用)

大門坂は、熊野那智大社に続く約600mの石段で、昔この坂を登り切ったところに「大門」があったことから大門坂と言われています。

自然がそのまま残った中辺路に比べ、やや観光地化されているのが残念ですが、この石段は平安時代に花山法皇や平維盛らが歩いた時と変わらないのです。

ちょうど歩いている時に、平安衣装を着た女性とすれちがいました。

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(画像=『たびこふれ』より引用)

雰囲気ありますね~。大門坂茶屋では、平安衣装を貸し出してくれるそうです。

【中辺路・本宮の説明をしてくださった語り部さんのお話】

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(画像=『たびこふれ』より引用)

この語り部さんは生まれも育ちも本宮の人。

2004年「熊野古道が世界遺産になる」と言われてもピンとこなかったそうです。「え~ここは世界遺産になるほどすごい所なのかなぁ?」と。

地元の人からしても、熊野古道は時代から忘れられた存在になっていたのかもしれません。

でも地元で催される説明会や勉強会に出て話を聴いている内に、自分たちが生まれ育ったこの町には、確かな歴史と文化があることを知りました。

「語り部にならないか?」とすすめられた時、最初は「とんでもない!」と固辞していたそうです。でも徐々に、この熊野古道の歴史を子供たちにも知ってもらって語り継いで欲しい、地元の子供らには自分が生まれ育ったこの土地に誇りを持って欲しいと思い、語り部になることを引き受けたそうです。

それから猛勉強をされました。この語り部さんには、熱く面白いお話をたくさん聞かせていただいて刺激を受けました。語り部さんの中にはなんと86歳で今なお現役、元気に中辺路を歩いている方もいらっしゃるそうです。

紀三井寺

今から約1250年前の奈良時代に開かれたお寺で、3つの井戸があることからその名がついたと言われています。

西国三十三か所巡りの2番札所でもあります。ちなみに1番札所は那智山青岸渡寺。

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(画像=<紀三井寺>、『たびこふれ』より引用)

紀三井寺の境内からは、景勝地「和歌の浦」の美しさを望むことができます。

湯浅の町並み

2006年重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。

昔の懐かしい町並みが静かに残っている情趣溢れる町です。散策すると心が和みます。

あまり知られていませんが、和歌山は日本における醤油発祥の地で、ここ湯浅には92軒もの醤油蔵があったそうです。

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(画像=<重要伝統的建造物群保存地区 湯浅の町並み>、『たびこふれ』より引用)
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(画像=<路地裏に漂う空気が昭和世代にはたまりません>、『たびこふれ』より引用)
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(画像=『たびこふれ』より引用)

今も醤油を作り続けている角長(かどちょう)。ここでは珍しい醤油が売られています。

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(画像=<濁り醤(びしお)>、『たびこふれ』より引用)

圧搾も過熱もせず、麹が原料を分解し、2年以上丹念に熟成してできた、純粋な上澄みのみを取り出した生の本醸造濃口醤油。完成まで10年を要したそうです。

冷奴や白身の魚に合うというので、買ってきて家で冷奴にかけてみました。

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(画像=『たびこふれ』より引用)

どうですか、色が濃いでしょう?そして醤油の香りが鼻にふわっと届きます。豆腐の味を引き立てる「これぞ本物の醤油!」という味でした、美味しい。

角長は、本店前に資料館も営まれており、醤油造りの歴史や昔の道具などを見ることができます(見学無料)。

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(画像=<角長 資料館>、『たびこふれ』より引用)

角長

  • 住所:和歌山県有田郡湯浅町湯浅7
  • TEL:0737-62-2035
  • 営業時間:9:00~17:00

和歌山のグルメ

今回のツアーで出会った和歌山グルメの一部を紹介します。

じゃばら

面白いネーミングですが、元々は日本唯一の飛び地の村として知られている和歌山県の北山村にしか自生していなかった柑橘類の固有種です。

ゆずやすだちの仲間で、名前の由来は「邪を払うほど酸っぱい」というほど酸味が効いているのが特徴です。

そのままで食べるというよりは、ジュースなど加工品にして摂るのが一般的だそうです。

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(画像=『たびこふれ』より引用)

飲んでみましたが、酸味がしっかり利いてはちみつ入りで甘酸っぱくて美味しい。夏にぴったりで身体に良さそうです。疲れた身体がシャンとしました。

めはり寿司 

話に聞いたことはありましたが、今回初めて食べました。めはり寿司とは、高菜で巻いたおにぎりのことです。

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(画像=『たびこふれ』より引用)

写真はめはり寿司(上)とさんま寿司(下)。

正直、高菜で巻いたおにぎりなんて、地味すぎて興味なかったです(失礼!)

しかしこれが想像以上に美味しかった!ごはんと、高菜の塩味のバランスが絶妙で、高菜の爽やかでさっぱりした味が身体に優しい。ごはんの中にも高菜が混ぜ込んであります。

どこか懐かしい 和歌山県の魅力。旅行するならバスツアーがおすすめ!
(画像=『たびこふれ』より引用)

めはり寿司はもともと熊野地方で、山で仕事をする人がお弁当として持っていっていたものだそうです。

今回いただいたのは、小さめのかわいいおにぎりでしたが、本来はもっと大きいサイズで、ほおばる時、目をみはるほど大きな目で食べるから、とか美味しさに思わず目をみはった、という意味から「めはり寿司」と言われるようになったそうです。

どちらにせよ、この素朴なおにぎりがこれほど美味しいとは思いませんでした。めはり寿司は和歌山のあちこちで食べることができますが、それぞれ味の特徴があるようで、食べ比べてみるのも楽しいかもしれません。個人的には和歌山グルメの中でイチオシです。

南高梅

高級梅といえば「南高梅(なんこううめ)」といわれるほど、全国的に有名な梅ですよね。

ところで、なぜ南高梅というかご存知でしたか?

梅は南部(みなべ)という町の特産物です。

ある時、農家の人がとても大きい粒の梅を見つけた。そういう大粒の梅をたくさん作れないか、と南部(みなべ)高校に相談を持ち掛けたそうです。

そして研究がされて、見事大きい粒の梅を作ることに成功しました。

南部高校が開発した梅だから「南高梅」なのだそうです。高校の名前だったとは意外でした。

南高梅は実が柔らかいのが特徴で、機械で詰めると破れやすいのだそうです。ですから今でも南高梅は手詰めで丁寧に扱われる。高級梅である理由はそんなところにもあるのかもしれません。

和歌山出身で東京に移り住んだ友人がつぶやいた言葉が印象的です。

和歌山を離れてみて初めて「和歌山って食べ物が美味しいところだったんだなぁ」と知りました。

このひとことが和歌山の食の豊かさを表しているかもしれません。