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ケンメリが大ヒットした裏には先代「ハコスカ」の快挙があった!
販売期間はたった4ヶ月!幻のGT-Rってなに?
ケンメリが大ヒットした裏には先代「ハコスカ」の快挙があった!
ケンメリの先代であるハコスカは1968年の登場からレースで通算52勝を上げ、スカイラインを日本の代表するスポーツカーへと一躍させました。このことからハコスカは日本のカーレース界において、伝説のクルマとして現代にも語り継がれています。
そんな輝かしい記録を収めたハコスカの、後継車としてケンメリは発表されましたので、当時の人々がケンメリに寄せる期待は相当のものだったと思われます。結果としてケンメリは期待以上の人気を集め、スカイラインを代表するモデルとなりました。
ケンメリという愛称がCMのキャッチコピー「ケンとメリーのスカイライン」から名付けられたことは有名ですが、実は先代ハコスカのCMにも「愛のスカイライン」というキャッチコピーがありました。当時は愛スカとも呼ばれていたそうです。
ケンメリのCMが誕生したのは、愛スカという斬新なキャッチコピーが当時の人々にウケたからかもしれませんね。
販売期間はたった4ヶ月!幻のGT-Rってなに?
ケンメリはケンとメリーのCMと共に一大ブームとなり、スカイライン史上最多の売り上げ台数を記録しました。これは現代にも語られる華やかなエピソードです。しかしケンメリを語る上ではもう一つ、忘れてはいけない悲劇のエピソードがあります。
スカイラインのグレード「GT-R」は先代モデルのハコスカで初登場し、大活躍しました。もちろんケンメリにもGT-Rは用意され、S20型エンジンが引き継がれました。ところが1970年代は急激な大気汚染により自動車の排気ガスが問題視され、数々の規制が施行された時代です。
残念ながら、ケンメリに搭載されていたS20型エンジンではこの厳しい基準をクリアすることが出来ませんでした。その結果ケンメリGT-Rの販売期間は4ヶ月、販売台数はたったの197台とスカイライン史上最も短命なクルマとなってしまったのです。
その後しばらくスカイラインにGT-Rが用意されることは無く、こういった経緯からケンメリGT-Rは「幻のGT-R」や「失われたR」「悲運のR」などと呼ばれています。