歴史ある東京の路地裏を歩きまくる現地集合/解散型ツアー「裏さんぽ」。

第五回 旅のはじまりは・・・

JR市ヶ谷駅から始まります。私個人としては「裏さんぽ」5回の中でこの神楽坂の回が一番好きです。その理由は3つあります。

  1. 大通りではなく路地裏をたくさん歩く
  2. 美しい坂とたくさん出会える
  3. 静かできれいな道が多いから

です。まさに「裏さんぽ」の真骨頂といえるコースでしょう。

目次
神楽坂の名の由来とは・・・
浄瑠璃坂の仇討(忠臣蔵の約30年前に似たような事件があった)

神楽坂の名の由来とは・・・

諸説ありますが、祭礼で神輿が通る時に神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえてきたからとも言われています。どちらにしても雅な名前ですよね。

東京の路地裏を歩く「裏さんぽ」第五回 神楽坂の巻
(画像=『たびこふれ』より引用)

市ヶ谷から神楽坂の間、閑静な住宅街に案内版が立っています。

浄瑠璃坂の仇討(忠臣蔵の約30年前に似たような事件があった)

寛文12年(1672年)2月3日に起きた事件です。「江戸三大仇討」のひとつと言われています。内容がやや複雑なのでここでは詳しく言及しませんが、内容が忠臣蔵と非常に似ているのです。

一族数十人が、(1)徒党を組み(2)夜討ちを行い(3)仇討ちが成就した後、自らお上に出頭して裁きを仰いだ、という流れです。

但し、大きく違うのがその結果です。忠臣蔵では赤穂の浪士達は切腹だったのに対し、浄瑠璃坂の仇討では討った者達にはかなり寛大な処分が取られ、なんと後には他家への士官も果たしているんです。忠臣蔵はこの事件の三十年後に起こっていますから大石内蔵助などはこの事例を知らなかったとは思えません。吉良家討ち入りを果たし、彼らの心に去来したものとは・・・。

東京の路地裏を歩く「裏さんぽ」第五回 神楽坂の巻
(画像=『たびこふれ』より引用)

通り過ぎてしまうほどさりげない場所に案内板が立っています。

東京の路地裏を歩く「裏さんぽ」第五回 神楽坂の巻
(画像=『たびこふれ』より引用)