花山稲荷と元慶寺

モルガンお雪さんが参っていた玉の輿に乗れると有名な「折上神社」から真っすぐ行くと「花山稲荷神社」があり、大石良雄が寄進した鳥居や良雄断食石、血判石、本殿背後に「花山神社古墳」(円墳)などが見られます。

【京都】山科に宿る歴史ロマンをめぐる
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<花山稲荷神社>

「花山稲荷神社」の前の道をいくと、花山天皇とゆかりがある「元慶寺」が出てきます。

【京都】山科に宿る歴史ロマンをめぐる
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<元慶寺 入り口>

元慶寺は、868年に桓武天皇の孫である「僧正遍照」が、この花山の地に「華山寺」として創建した、西国三十三所観音霊場の番外札所です。天台宗の寺院で、西国三十三所巡りを復活させた第65代「花山天皇」が藤原親子にだまされて出家した場所でもあります。花山天皇は、生後10ヶ月で皇太子になり、ご即位したのは17歳の若さ。寵愛していた女御が亡くなると、藤原兼家が出家を促します。それを聞いた安倍晴明は、御所を出る夜に式神に指示を与え止めようとしますが、間に合いませんでした。

元慶寺には、六歌仙の1人である僧正遍照の『百人一首』の歌碑があります。

「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」

また、素性法師の歌碑もあります。

「今こむと言ひし許(ばかり)に長月の ありあけの月を待ちいでつる哉」

【京都】山科に宿る歴史ロマンをめぐる
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<元慶寺 歌碑>

【京都】山科に宿る歴史ロマンをめぐる
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<元慶寺 上人の墓>

竜宮造りの鐘楼門に収められている三代目の梵鐘には、菅原道真が勅命で元慶寺を詠んだ漢詩が刻まれています。

元慶寺

所在地:京都府京都市山科区北花山河原町13
拝観時間:8:00~17:00
交通アクセス:地下鉄東西線「御陵」より徒歩20分

小野一族と聖徳太子

聖徳太子への信仰が厚かった親鸞聖人にちなみ、聖徳太子立像を安置されているのが、佛光寺です。毎月22日の聖徳太子忌日や、4月2日の春法要の際など特別にご開帳されています。越後流罪後、建暦2年(1212)に京都に戻った親鸞聖人が、山科の地に結んだ草庵をはじまりとする佛光寺ですが、いまは移転されています。

山科にも「小野」という場所に、小野一族ゆかりの「随心院」というお寺があります。

六歌仙の一人である「小野小町」の邸跡と伝えられ、文張(ふみはり)地蔵尊、小町座像、化粧井戸、文塚、小町歌碑等を訪ね、絶世の美人と伝えられる小町を感じることできます。3月には少女たちにより、小野小町に求婚した深草少将の「百夜通い」の伝説に基づいた「はねず踊り」が催されます。

【京都】山科に宿る歴史ロマンをめぐる
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<随心院 小野小町化粧井戸>

小野小町の歌碑も見れます。

「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(百人一首)

【京都】山科に宿る歴史ロマンをめぐる
(画像=『たびこふれ』より 引用)

<随心院 小野小町>

絶世の美女と言われた小町は、閻魔大王のもとで役人として働いたとされ、京都へ入る街道入り口に祀られた『六地蔵』を祀った奇人「小野篁」の孫であったとも言われ、霊力を使った逸話が残っています。

平安時代の官僚・学者・歌人と、各分野で活躍した人物である「小野篁」や「六地蔵巡り」について紹介した記事もご参照ください。

小町の祖先である「小野妹子」は、滋賀県の小野村の豪族出身。590年に小野妹子は、秦河勝が治める北九州の秦王国にて、厩戸皇子(後の聖徳太子)と運命的な出会いをします。妹子は、607年に聖徳太子の命令によって、国書を持参の上、遣隋使として中国にわたりました。隋は倭国(日本)を国家と認め、翌年には隋の使者とともに帰国したと「日本書紀」に記載されています。

小野妹子は華道の家元・池坊において「華道の祖」として知られ、聖徳太子が建立した京都の六角堂(現:頂法寺)の太子持仏の如意輪観音を本尊として守るように命じられます。

聖徳太子や蘇我氏と一緒に天皇中心の新しい国づくりに携わった小野妹子。

小野一族は、飛鳥時代より京都の洛北と山科に住んでいたと伝わります。平安時代に入ると、滋賀県の領地から交通の便が良い山科へ勢力を広げ、一族が栄えた場所のひとつとされゆかりの場所がたくさんあります。

大本山 隨心院

住所:京都府京都市山科区小野御霊町35
電話:075-571-0025

交通アクセス:地下鉄東西線「小野駅」から徒歩5分