さりげなく手間をかけている

<『丸〆猫』。3,800円。頭が黒く、あぶちゃん(よだれかけ)をして、後ろの尾に「〇に〆」の刻印があるのが特徴>
さらに浅草らしい物と木村さんが手にしたのは、浅草今戸焼の招き猫「丸〆猫」でした。良質の粘土が採れる浅草今戸の一帯で江戸時代初期から瓦や素焼きの土鍋「焙烙(ほうろく)」などを作っていた職人が生業のかたわら手がけたのが今戸人形。当時は大変な人気を博したようです。そのひとつが招き猫の元祖という説もある丸〆猫。嘉永5年(1852年)には「助六」と近くの三社権現(浅草神社)の鳥居脇で老婆が売り、大流行になった記録もあるとか。「助六」にはさまざまな職人による多様な招き猫が並びますが、木村さんが見せてくれたのは、なかでも職人の特別な想いから生まれた丸〆猫。今戸の工事現場でもらった土で焼き、江戸時代と同じ岩絵の具で彩色された招き猫は今戸人形の古いお手本や資料を頼りに、できるだけ昔の姿を再現できるよう心がけたもの。職人の追究心がさりげなく表れる江戸小玩具ですが、とりわけ「万事うまく納まるように」という願いがこめられた丸〆猫には情念が宿り、ひときわ強い存在感を放っているよう私の眼には映りました。
「これがおもしろいのは(底を)割っていないところで、土鈴(内部に鈴が閉じこめられている)になっているんです。普通はみんな割れていて、その方が簡単に作れるんですけど、割らない。隠れたところに手間をかけているのが江戸なんです」。

<底が割れていない>
作り手を探すのが仕事

<張り子の『赤梟(あかふくろう)』。4,000円。底に重りが付き、倒れても常に起き上がる細工がほどこされ、回復を祈る気持ちがこめられている。赤は江戸時代に流行った感染症で到死率が高い疱瘡(ほうそう)除けの色と信じられ、「赤物」という郷土玩具が広まった。この赤梟は無病息災のご利益を期待されて作られた>
浅草の名物といえば河童(隅田川の河童たちが、現・合羽橋の水はけの悪い低地で水路を造成する難儀な工事を手伝ったという伝説があります)とたぬき(昔、浅草にはたぬきが多く生息し、「浅草たぬき通り商店街」の由来に)。そのため、「助六」は河童とたぬきの小玩具を定番商品として販売しています。そのほか、昔から人気の動物は犬と猫でしたが、戦後は進駐軍の影響で、カエルやふくろう、豚の玩具が売れるようになったとか。それで、これらの動物を題材にした、新たな小玩具を開発しようと考えた木村さん。
「どこにでもあるものではつまらない」と思案していたとき、たまたま東京国立博物館に行ったら、赤いミミズクを抱えた金太郎の錦絵(勝川春英の作『金太郎』)を目にしました。「北海道の人に言わせれば、赤いふくろうなんて居ないし、普通じゃないからとこれだ!」と商品化に行き着いたのです。
「僕の仕事は作り手を探すこと」と話す木村さん。以前は浅草周辺に職人がいたけれど、それぞれの事情で遠方へ転居。新たな職人も地方に出かけて探すようになりました。「なかにはね、儲かるものではなく、自分な好きなものをやりたいっていう者もいます。そこは日本人。文化っていうのはたいしたもんです。一朝一夕のものではないですから」。職人はだんだん少なくなると思いますよと、表情を少し曇らせたあと、力強く明言しました。「本物をやっていれば絶対に続くと思う」と。
〆
取材を終えようとしたとき、木村さんの息子さん、光良(みつよし)さんが店番の交代で登場しました。三越を辞めて6代目となった光良さんは、穏和な雰囲気の吉隆さんよりも、きりっとした印象。ショーケースに撮影禁止の札を貼っているのに、ことわりなくカメラを向ける外国人観光客には「NO PHOTO!」と注意します。しかし、それは礼儀をたいせつにしているからで、きちんと伺いをたててくる人には撮影を許しているようです。筋が通った言動を好ましく感じ、江戸の文化を次代へ伝える「助六」は安泰だなぁと嬉しくなり、浅草を後にしました。
江戸趣味小玩具「助六」
住所:東京都台東区浅草2-3-1
電話:03-3844-0577
営業時間:10:00~18:00
文・写真・ヤスヒロ・ワールド/提供元・たびこふれ
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