苦戦を強いられているウクライナ軍
我が国では、メディアを通じて、ウクライナのクリミアへの「攻撃」により戦局が逆転したかのような言説が広がっているようですが、はたして本当なのでしょうか。残念ながら、さまざまなデータは、こうした楽観論を戒めています。
ウクライナは反転攻勢をロシア軍に仕掛けて、一気に占領地を奪還するために必要な武器や装備を得られていません。ウクライナがロシアを敗北させる戦争目的を達成するのに必要な武器のデータによれば、戦車、多連装ロケット砲、榴弾砲の全てが条件を満たすには程遠いことは、『フィナンシャル・タイムズ』紙の分析記事により明らかにされています。同記事によれば、ウクライナや西側の防衛当局者とアナリストは、もしウクライナが戦闘を持続するならば、より多くの兵器と予備役を訓練する長い時間が必要であることに合意しています。
こうしたウクライナ軍の苦境は、改善されるどころか、むしろ悪化している可能性さえあります。キール世界経済研究所の調査によれば、ロシアのウクライナ侵攻がはじまって以来、7月は、初めて月を通じてイギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、ポーランドのヨーロッパ主要6か国が、ウクライナ政府と新規軍事公約を結びませんでした。それどころか、ヨーロッパからのウクライナへの武器支援はこの数か月で減少しているのです。
同研究所のクリストフ・トレベシュ氏は4月末以後、ヨーロッパからのウクライナへの軍事支援は減少傾向にあり、「戦争が決定的な局面に入っているにもかかわらず、新規支援のイニシアティヴは干上がっている」と、ヨーロッパ諸国の言動が一致していないことを糾弾しています。
こうした苦境を物語るように、ウクライナ南部のミコライフ州のある市長は「軍事理論は、攻撃するには3:1の優位が必要だと語っている。だが、彼ら(ロシア兵)は要塞建設を進めているのだ…彼らは戦闘を冬まで引き伸ばそうとするだろう…我々の市街が毎日標的にされ、ウクライナ人が殺されている。我々は反撃する必要がある」と悲壮な覚悟を語っています。
ロシア軍とウクライナ軍のバランスを客観的に分析すれば、残念ながら現在でも、戦局を一変させるだけの戦力をウクライナ軍が保有するには至っていないのです。
核戦争のリスクに向き合う方法
世界的ベスト・セラー『ブラック・スワン』の著者であるニコラス・タレブ氏は、リスクへの対応について、こう語っています。
現代のリスクには…安全保障などがある…将来を左右する大きなことで予測に頼るのは避ける…信じることの優先順位は、確からしさの順ではなく、それで降りかかるかもしれない損害の順につけるのだ…深刻な万が一のことには、全部備えておくのだ(66-67頁)。
ロシア・ウクライナ戦争が核戦争にエスカレートする確率、すなわち「確からしさ」は低いでしょう。しかしながら、戦争のエスカレーションは予測がほとんどできないほど、それをコントロールすることが困難なのです。
ミアシャイマー氏は一貫して戦争のエスカレーションの危険と停戦を訴えてきたために、ウクライナ政府から「ロシアのプロパガンダを広める学者」として糾弾されましたが、彼はロシアの味方をしているわけでは決してなく、むしろ核戦争になってしまったら、とてつもない被害をウクライナにもたらすことになるから、国際政治や戦略の専門家として、それを避けなければならないと警鐘を鳴らしているのです。少し長くなりますが重要なことので、ミアシャイマー氏の発言を以下に引用します。
最大の成果を求める思考は、今やワシントンとモスクワを支配して、戦場で勝利する、より強い理由を双方に与えている…外交的解決の可能性の欠如は、双方にエスカレーションの梯子を登る追加の誘因を与えている。階段のさらに上にあるものは正に破滅になり得るものである。すなわち、第二次世界大戦を超えるレベルの死者と破壊である…モスクワにとって事態が悪化しており、フィンランドとスウェーデンがNATOに加盟しようとしているし、ウクライナは武装をより強化して西側との同盟により近づいている。モスクワはウクライナで負けることが許されなくなり、(核使用を含む)あらゆる手段を使って敗北を避けようとするだろう…世間に広がっている陳腐な見解はウクライナにおけるエスカレーションの危険を過小評価している…戦争はそれ自体の論理を持つ傾向にあり、行方を予測するのを難しくする…戦時のエスカレーションの力学は予測もコントロールも同じく困難なのだ。
今のところ、クリミアにおけるウクライナによるロシア軍への攻撃は散発的であり、NATOが直接的に軍事介入しそうにありません。しかしながら、長期的には、核戦争のシナリオは空想ではなくリアルです。そして核戦争が起こってしまったら、ウクライナのみならず世界に降りかかる損害は天文学的なものになります。
ラトガース大学の研究チームの調査によれば、アメリカとロシアの間で核戦争が起こった場合、あるシナリオでは全人類の半分が死亡する結果になりました。これをうけて、同大学のアラン・ロボック氏は「データがわれわれに伝えようとしているのは、核戦争を絶対に起こさせてはならないという一点だ」と述べています。つまり、ロシアの核兵器の使用をアメリカをはじめとする西側諸国は抑止しなければなりません。
ここで克服しなければならない深刻なジレンマは、前出のベッツ氏が指摘するように、NATO諸国がモスクワに核爆発で戦略的利得を獲得させずに、さらなるエスカレーションを防ぐという綱渡りのような戦略を構想することに集約されます。アメリカと同盟国そしてウクライナは、核戦争の深淵を見たキューバ危機以降の最大の難問を解くという、途方もない難事業に取り組まなくてはならないのです。
日本のメディアで大きな発言力を持つ専門家は、率直に申し上げれば、ロシア・ウクライナ戦争における核戦争のリスクに総じて鈍いと言わざるを得ません。この記事を読んだ方々は、欧米の識者の警告に耳を貸していただきたいと切に願っています。
編集部より:この記事は「野口和彦(県女)のブログへようこそ」2022年8月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「野口和彦(県女)のブログへようこそ」をご覧ください。
文・野口 和彦/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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