石油ショックで大打撃
ところで、私の国連勤務は最初のうちは順調でしたが、途中から状況が一変しました。ジュネーブで働き始めて半年後、73年10月に勃発した第4次中東戦争に伴い、「石油ショック」が起こったからです。このニュースを聞いたとき、直観的に「やばいことになった」と思いましたが、この予感は的中。とくに当時中東石油に8割以上依存していた日本は大打撃を受けました。
時々公務で日本に来ると、電力不足で銀座のネオンサインはすっかり消え、自動車のガソリンも買えず、経済活動は停滞したまま。この時ほど「無資源国」の悲哀を味わったことはありません。ストックホルム会議で折角高まった「環境ブーム」は風船がしぼむように、あっという間に失速。
そこへ脱石油の切り札として登場したのは原子力です。日本の原子力発電は60年代初めから始まっていましたが、石油ショックを契機に一気に加速しました(ちなみに、東日本大震災で事故を起こした東京電力福島第1原発もこのころに運転開始)。当時私が新聞や雑誌に寄稿した論文のタイトルは「石油よ、さよなら。原子力よ、こんにちは!」
バンコクから東京に帰って外務省で最初に手掛けた仕事も原子力問題で、たまたま山場を迎えていた日米原子力交渉の渦中で、大いに苦労しました。
日本の環境外交の進むべき道
あれから45年。今また、突然のロシアのウクライナ侵攻に伴う対露制裁の結果、世界的なエネルギー危機が叫ばれています。今回の危機でも、資源小国である日本は先進国の中で最も深刻な影響を受けるおそれがあります。しかも、こうした厳しい状況下で、温暖化防止のため脱炭素(カーボンニュートラル)を進めていかねばなりません。対応を一つ間違えると、日本は大変なことになります。
捕鯨問題で経験したように、油断していると、欧米の策略に乗せられて「貧乏くじ」を引かされる可能性があります。気候変動対策でも、各国は少しでも自国の国益へのマイナスを減らそうと四苦八苦しており、環境外交は一段と厳しさを増しています。
日本は元来「資源小国」であることを自覚し、慎重に対処せねばなりません。かつて「かけがえのない地球」というキャッチフレーズを自ら創案し、地球環境保護の旗を振った私としては複雑な心境ですが、環境問題とエネルギー安全保障とどちらを優先すべきかと問われれば、当面は後者を優先すべきだろうと思います。そして、電力不足の深刻化が予想される今冬を乗り切るためには、原発の早期再稼働が不可欠だと考えます。
(2022年7月18日付東愛知新聞令和つれづれ草より転載)
文・エネルギー戦略研究会(EEE会議)
文・エネルギー戦略研究会(EEE会議)/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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