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ユカラを後世に
受け継がれた思い

ユカラを後世に

金田一との出会いで、アイヌとして誇りを取り戻した幸恵。職業訓練学校を17歳で卒業。気管支炎を患うが、ユカラをローマ字で筆録したノートを送るなど、金田一と交流を重ねた。1922年に金田一の誘いで上京。彼とその家族と暮らし、研究に一層打ち込んだ。

後の世に伝わる「アイヌ神謡集」を執筆を始めたのはこの頃である。もともと病弱であった幸恵は、心臓病を患った。病状は日に日に悪化の一途をたどったが、書き続けたのである。心臓が鼓動を止めたのは「アイヌ神謡集」を書き終えた日の晩であった、19歳。

アイヌ語を後世に〜知里幸恵の奮闘〜
(画像=死去する2ヶ月前の写真Unknown authorUnknown author, Public domain, via Wikimedia Commons、『北海道そらマガジン』より引用)

受け継がれた思い

「アイヌ文化を後世に」、膨大な数のユカラを書き残し、若干19歳で生涯に幕を下ろした知里幸恵。彼女の遺志は親戚ら多くの人に受け継がれることになる。
伯母の金成マツは幸恵の死後、自分が知る限りのユカラをノートに筆録。金田一との交流も続けている。1956年には、紫綬褒章を受章した。

弟の真志保は、幸恵同様に差別を受け苦しんだが、勉学に励み、東京帝国大学(現在の東京大学)を卒業。やがて北海道大学に教授として赴任した。専攻はアイヌ語学で、辞典をつくるなど多大な功績を残している。

2010年、登別にある幸恵の生家近くに「銀のしずく記念館」が設立された。設立費は2500人以上の寄付。初代館長に幸恵の姪にあたる横山むつみ氏が就き、話題になった。館内には「アイヌ神謡集」の基礎原稿や幸恵直筆のノートなど、貴重な資料が数多く展示されている。