銀のしずくふるふるまわりにー。アイヌ語が再び注目を集めている。
北海道胆振地方では、2020年7月、白老町に民族共生象徴空間「ウポポイ」が完成。敷地内の食堂でアイヌ語由来の料理を提供したり、民族の考え方にふれる講演会など企画が盛り上がりをみせている。
文字を持たないアイヌ語。
口伝えを文字にし、広めたのは登別出身でアイヌの少女、知里幸恵であった。19年の短い生涯。晩年に記した著書「アイヌ神謡集」は、失いかけていた民族の誇りを取り戻す転機をつくったとして、多くの人に知られている。
今年は没後100年、彼女をモデルにした映画ロケも始まり、知名度はさらに高まりそうだ。

目次
文学大好きの才女
金田一京助との出会い

文学大好きの才女

知里幸恵が生まれたのは、1903年の登別(当時は幌別村)。6歳のとき、伯母のキリスト教伝道師金成マツの住む近文に、祖母と一緒に引っ越した。
祖母から、ユカラ(アイヌの神話など口承文芸)を聞いて育ったため、日本語とアイヌ語が話せた。後にローマ字も習得している。

幸恵の才能は言語だけではなかった。近文の尋常小学校(今の小学校相当)では、作文、習字と多岐にわたり才能を発揮している。14歳のとき、旭川の職業訓練学校にアイヌの女性で初の進学。受験時の成績は入学希望者109人中4位。その後の学校生活でも優秀であった。

一方、アイヌであることから、「日本人」による差別を受けている。「(この学校は)あなたが来るところではない」。同級生が放った一言は心を深く傷つけた。「辛い辛い学校」、「目に見えない厚い壁」。日記などで当時の辛い心境をこう綴っている。

アイヌ語を後世に〜知里幸恵の奮闘〜
(画像=知里幸恵と金成マツ不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由、『北海道そらマガジン』より引用)

金田一京助との出会い

差別や孤独に苦しむ15歳の幸恵のもとに、運命を変える言語学者、金田一京助が現れた。
東北出身である金田一は当初、アイヌ語を学ぶためマツを訪ねたが、姪である幸恵の才を見出した。

幸恵がユカラの価値を質問すると、「世界五代叙事詩に入るぐらい」と答えた。金田一との出会いは、幸恵に失いかけていたアイヌとしての自信を取り戻させ、後の功績の礎をつくった。