「御影(みかげ)」の起源
実は、上述の弓弦羽神社の縁起に出てくる神功皇后は、一説には、御影(みかげ)という地名の起源にも関わったとされています。曰く「14代仲哀天皇の皇后・神功皇后が三韓出兵からの帰り、御影の浜に上陸され、そこに湧く美しい泉にその御姿を映されたことから「御影」という地名がつけられた」(御影郷土資料室展示より引用)というのです。

(画像=『たびこふれ』より引用)
<神功皇后が御姿を映したという湧水 ©Kanmuri Yuki>
この言い伝えの湧泉は、いまも阪神御影駅近くに「沢の井」として残っています。改札口から少し西の高架下にスポットが設けられており、石碑には同様の主旨が刻まれています。水に触れることはできませんが、清水を見ていると不思議と心が落ち着く場所です。
灘五郷と後醍醐天皇

(画像=『たびこふれ』より引用)
<沢の井 ©Kanmuri Yuki>
沢の井の碑にはもうひとつ興味深い言い伝えが刻まれています。南北朝時代にこの沢の井の水で作った酒を後醍醐天皇に献上したところ「たいそうよろこ(嘉)ばれて酒を納められた」ため、「その時からこの辺りの酒造家は「嘉納」という姓を名乗った」というものです。

(画像=『たびこふれ』より引用)
<灘の酒造りを支えた水車 ©Kanmuri Yuki>
「嘉納」と聞いて、ピン!とくる人は、なかなかの神戸通!実は、灘五郷のひとつである御影郷には、嘉納家が創業した酒造会社が2社存在します。ひとつは1659年創業の菊正宗酒造、もうひとつは1743年創業の白鶴酒造。後醍醐天皇の在位期間は14世紀前半でしたから、時代の隔たりも大きく、直接の関連は不明ですが、次に御影郷のお酒を飲むときは、後醍醐天皇に献上されたお酒の味を想像してみたくなる逸話です。