御影は、「阪神間」にある神戸市東灘区の一区域を指す地名です。阪神間とは、文字通り大"阪"と"神"戸の"間"の地域を指します。20世紀の初め、大正期から昭和にかけて、「阪神間モダニズム」と呼ばれる近代芸術文化を醸成したことでも知られます。今回は、その「阪神間」の中でも、特に東灘区に注目してみましょう。
目次
日本一の長者村と呼ばれた住吉
三本足の八咫烏(やたがらす)を紋とする弓弦羽神社
日本一の長者村と呼ばれた住吉

<元大邸宅の敷地内に建つ香雪美術館 ©Kanmuri Yuki>
開発当時、阪神間には高級住宅地が多く開発されました。今の神戸市東灘区にあたる地域もそのひとつです。東灘区の始まりは1950年、御影(みかげ)・住吉・魚崎の三ケ町村が神戸市に合併されたときでした。このうち特に住吉村は、富豪の大邸宅が並ぶことで知られ、明治後期から昭和初期にかけて「日本一の長者村」と呼ばれたほどでした。
「御影」「住吉」「魚崎」は駅名にも採用されていて、いまでも関西では身近な地名です。東の大阪と西の神戸を結ぶ鉄道は、阪急、JR、阪神の三路線で、北側からこの順にほぼ並行して走っています。阪急には御影駅、JRには住吉駅、最も古い阪神路線には、御影、住吉、魚崎の三駅が存在します。
三本足の八咫烏(やたがらす)を紋とする弓弦羽神社

<右の塀が香雪美術館、左が弓弦羽神社 ©Kanmuri Yuki>
阪急電鉄御影駅の南側には、朝日新聞を創業した村山龍平の邸宅跡がいまも残っています。広い敷地内には、村山氏が収集した数多くの美術品を収める香雪美術館も置かれていますが、現在は改築工事のため長期休館中となっています。

<弓弦羽神社 ©Kanmuri Yuki>
この香雪美術館のすぐ西隣に鎮座ましますのが、1200年もの歴史を誇る弓弦羽(ゆづるは)神社。後述する多くの造り酒屋が信仰する神社でもあります。
最近ではフィギュアスケートの羽生結弦選手と名前が似ていることから注目されることが増えましたが、その起源はもちろんスケートとは何の関係もなく、「神功皇后が、忍熊王がむほんを企てたのを知り、この地に軍を置き、戦勝を祈ってその背山に熊野権現を勧請したのが縁起(御影郷土資料室展示より引用)」とされています。
熊野大神の神使は三本足の八咫烏(やたがらす)で、同神社でも「弓弦より解き放たれた矢に」乗った「みちびきの八咫烏」を紋として使っています。(同神社立て札説明より)