最後まで母に尽くすことが出来なかった
この言葉が届くわけもなく、私は唯々泣くしかない。そして、私の貯金で母を見送るという、最後の最後までお金でしか尽くすことが出来なかった。このような恥知らずの愚か者である私の人生の夏休みは、最低かつ最悪なものだと言わざるを得ない。
無論、考えようによっては、今回のような出来事は摂理であり、聖書の言葉を借りるならば、「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時があ」り、「神はすべてを時宜にかなうように造」った(コヘレトの言葉 第3章)結果とも言えるだろう。もし、そうであるならば、私は運命愛として受け入れる。
しかし、そのような他罰的思考に立脚していては、自己を省みなくなってしまう。自責ではなく、他責で考えることは、責任転嫁と同義だからだ。そうではなく、自らの罪と真摯に向き合い、自責の念を背負いながら贖罪を果たすことこそ、本当に私がしなければならないことだ。
卒業、そしてこれからの決意
それを果たす場所は家庭内に留まることなく、国家社会に対して奉仕しなければならないと考える。先述したように、私は人材会社とご縁があったので、それを通じて達成したい三つの決意を挙げる。
第一に、日本国憲法第22条第1項および職業安定法第3条が公共の福祉に反しない限り何人にも保障する職業選択の自由を守る。第二に、求職者の声を聴き、潜在的要望を叶えることで、働く喜びを生きる喜びに発展させるキャリアデザインを創造する。第三に、企業は社会のものであると肝に銘じ、その社会的意義や使命に徹して企業の社会的責任を果たすことで、社会に蔓延る構造的暴力を低減させる。
これらの達成をもって、亡き両親に報いたい。
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丸山 貴大
聖学院大学政治経済学部政治経済学科所属 98年(平成10年)埼玉県さいたま市生まれ。幼少期、警察官になりたく、社会のことに関心を持つようになる。高校1年生の冬、小学校の先生が衆院選に出馬したことを契機に、政治に興味を持つ。主たる関心事は、憲法、安全保障である。
文・***/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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