母に対する責めの気持ち
想像力と実行力による寄り添いが全く出来なかったのは、母に対する責めの気持ちがあったからだ。私は母に少しでもいいから働いてほしかった。私には姉が一人おり、2018年4月から保育士として働いている。だが、それだけでは家計が不安極まりなかったからだ。
私は小学生の時からお金の心配をよくしていた。その度に、そのようなことは子供が心配することではない、と言われていた。しかし、現実問題としてお金がなければ生きていけないわけだから、気になって仕方がない。私は母の貯金を把握しておらず、貯金を取り崩していては、家計が著しく逼迫する事態を招いてしまうと強く懸念していた。だからこそ、勤労を強いるような感情を母に抱いてしまっていた。
極度のストイックさを他者にも要求してしまう自分
それは、私の責任感が強いがあまりに起こることなのだろう。つまり、自己の頑張りと同程度のストイックさを他者にも要求してしまう。私は勉強とアルバイトでこんなにも努力し、2020年7月6日に人材会社とご縁があるまで就職活動も頑張ったというのに、なぜ母は働きもしないのか、という具合に。
しかし、今になってみれば、母はそのようなことを求められたとしても、到底応えることは出来なかったのだろう。一人で姉と私の学費について背負いこんだり、母から見れば姑である祖母と時には衝突したり、精神的には一杯いっぱいであったに違いないからだ。私は母に対し、すべきことをせず、すべきでないことをしていた。
だからこそ、母は2020年12月21日に倒れ、2021年2月2日に父と同じ目に遭ったのだ。それも私のせいであり、母に対して、そして何より父に対して本当に、本当に申し訳ない。