こんにちは! たびこふれ編集部のシンジーノです。
日本の多くの町が過疎化に苦しむ中、じわじわと人口が増え続けている地方の小さな町があります。
それが北海道の東川町(ひがしかわちょう)です。

<東川町を一望するキトウシ森林公園の展望閣からの眺め>
たびこふれに東川町の概要を紹介した記事がありますのでどうぞお読みください。
この東川町に、2022年の6月に訪れてきました。
他の町では見られない独特の雰囲気を持った東川町の魅力を、さらに掘り起こしてお伝えしたいと思います。
目次
東川スタイルの象徴 北の住まい設計社
東川町役場の西島さんにインタビュー
東川スタイルの象徴 北の住まい設計社
東川町の郊外に「北の住まい設計社」という会社があります。
もともとは家具屋さんですが、現在では、家、調度品、雑貨、パン、カフェなど、生活に関連したものを提案する会社になっています。
今から約30年前、廃校となった小学校跡地に、オーナーの渡邊ご夫妻は移り住んだそうです。小学校跡地というと、校舎があってその前に校庭がありますよね。どちらかというと殺風景なイメージです。
しかし、現在その小学校だった場所は、まるでカナダか北欧の森のような雰囲気に包まれています。

なんとおしゃれな!日本とは思えない佇まいです。

森の妖精が現れそうな。。。

ここは元小学校だったとはとても思えませんね。渡邊さんご夫妻が約30年かけてじっくり築かれた世界です。

店内には生活に関連した衣類、リネン、食料品、焼きたてパン、雑貨などが売っています。


カフェでいただいたほうれん草とホタテのパスタです。香りが立ってホタテも野菜も新鮮で、とっても美味しいパスタです。
東川町に移住した方の中には、渡邊さんの影響を受けた方もいるそうです。
「東川スタイル」という言葉がなかった40年以上前から、豊かな暮らしの世界観を積み重ね、今の東川町の雰囲気の礎を創ってきたのが「北の住まい設計社」であるともいえるでしょう。
東川町役場の西島さんにインタビュー
東川町役場 東川スタイル課の西島さんにお話を伺いました。
東川町はなぜ「写真の町」になろう!と決めたのでしょうか?
もともとは町起こしのために、なにができるか、町が外部の企業さん等にアドバイスを求めたのだそうです。
当時は「写ルンです」が流行っていて、手軽に写真が撮れる時代になりつつありました。東川町は近くに旭岳、天人峡など美しい風景があったので、写真をキーワードに町の観光PRができないか? というのが発端だったそうです。
そこから東川町は「写真映りのよい町」を目指そうと進化していきます。
「写真映りの良い町」になろう。ここには深い意味があるのです。
写真映りがよい町とは、単に写真映えする写真を撮ろうということだけでなく、"人や自然、文化を大切にしている"という意味も含まれています。
「写真映りがよい町になる」とはどういうことか?
写真映りが良い町になるには、まず町がきれいである必要があり、ゴミとかが落ちていてはいけません。
写真には人も映ります。ということは町の人たちの明るい顔で溢れている方がいいわけです。町の人が笑顔でいられるようにするにはどうしたらいいのかな、という風にひとつづつ考えていきました。
こうして東川町に "文化" が作られていったのです。
また、当時の東川町の職員は、「営業する公務員」を心に仕事をしていたそうです。営業する公務員なんて聞き慣れない言葉だと思います。
東京にある写真関係の企業さんに足しげく通い、写真コンテストを開催するためにスポンサーになっていただくようお願いに行きました。
初めはけんもほろろでまったく相手にされませんでした。聞いたこともない小さな町からの依頼ですから、それも当たり前ですよね。それでもあきらめないで何度も何度も通っている内に、先方に私たちの熱意が通じて、徐々に協力していただける企業さんが増えていきました。
東川町がめざす写真の町は"人とのつながり"で広がっていったのです。
なぜ他の町では前例のないことを、東川町は37年間もやり続けることができているのでしょうか?
「写真の町」になろうという、捉えにくく、よその町ではあまり類をみない方向に進んでいました。
実は「写真の町宣言」をした1985年当時、住民の人たちも賛同者ばかりではなかったそうです。
またこれまでの37年間、ずっと「写真の町」に精力的に邁進していたわけでもないようです。
しかし、それをブレずにずっとやり続けてこれた大きな要因は、写真の町宣言を条例化したことが挙げられると思います。
条例が制定されたからこそ、大きな方向を外れずに今日までこられたのでしょう。
例えば、条例の前文にはこう書かれています。(抜粋引用)
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【写真文化首都「写真の町」東川町まちづくり基本条例】
(前文)
私たちの東川町は、おいしい水、うまい空気そして豊かな大地さらに、大雪山国立公園の主峰「旭岳」を擁する優れた自然環境に恵まれた町です。
私たちは、多様な植物や動物たちが息づく雄大な自然環境と、風光明媚な景観を未来永劫に保ち、先人たちから受け継ぎ共に培った美しい風土と豊かな心をさらに育み、この恵まれた大地に世界の人々に開かれた町、心のこもった「写真映りのよい」町の創造をめざします。
ここに私たちは、町民憲章や写真文化首都「写真の町」の精神に立って、まちづくりを進めていくことを誓い、町民、議会、町がそれぞれの役割を自覚し、世代を越えて互いに力を合せ自らの創意工夫により、住民自治を確立し、持続可能なまちづくりを進めるためにこの条例を制定します。
この条例があったからこそ「今私たちがやっていることは条例に合っているだろうか?」という見るモノサシができたのだと思います。
東川町は、写真の町宣言(1985年)をし、その後、写真だけじゃなく文化も豊かにしていきたい、人の心を豊かにしていきたいという思いに昇華し、写真文化首都宣言(2014年)をしました。
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【写真の町宣言】(1985年6月)
「自然」と「人」、「人」と「文化」、「人」と「人」それぞれの出会いの中に感動が生まれます。
そのとき、それぞれの迫間に風のようにカメラがあるなら、人は、その出会いを永遠に手中にし、幾多の人々に感動を与え、分かちあうことができるのです。そして、「出会い」と「写真」が結実するとき、人間を謳い、自然を讃える感動の物語がはじまり、誰もが、言葉を超越した詩人やコミュニケーションの名手に生まれかわるのです。
東川町に住むわたくしたちは、その素晴らしい感動をかたちづくるために四季折々に別世界を創造し植物や動物たちが息づく、雄大な自然環境と、風光明媚な景観を未来永劫に保ち、先人たちから受け継ぎ、共に培った、美しい風土と、豊かな心をさらに育み、この恵まれた大地に、世界の人々に開かれた町、心のこもった"写真映りのよい"町の創造をめざします。
そして、今、ここに、世界に向け、東川町「写真の町」誕生を宣言します。
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【写真文化首都宣言】(2014年3月)
「1985年、私たちは「自然」と「人」、「人」と「文化」、「人」と「人」 それぞれの出会いの中に感動が生まれる「写真の町」を宣言し、写真文化を通じて潤いと活力のある町づくりに取り組んできました。 30年にわたる「写真文化」への貢献は私たち住民の大きな誇りになっています。
私たちは「写真文化」を通じて「この小さな町で世界中の写真に出逢えるように、この小さな町で世界中の人々と触れ合えるように、この小さな町で世界中の笑顔が溢れるように」願っています。
「おいしい水」、「うまい空気」、「豊かな大地」を自慢できる素晴らしい環境を誇りにする東川町が、30年にわたる「写真文化」の積み重ね、そして地域の力を踏まえ、開拓120年の今、私たちは未来に向かって均衡ある適疎な町づくりを目指し、「写す、残す、伝える」心を大切に写真文化の中心として、写真文化と世界の人々を繋ぐ役割を担うことを決意し、ここに「写真文化首都」を宣言します。
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