「運転手のミス」と「車両の不具合」の関係

事故に関して、客観的事実として間違いなく言えることは、以下の2点である。

第1に、T運転手は、体調面の問題はなく、意識喪失、自殺、いずれの可能性もない。事故車両が道路から転落する直前まで、事故回避のための措置をとり続けていた。

第2に、事故車両が事故直前の下り坂を走行する際に、ギアはニュートラルであり、エンジンブレーキが利かない状況だった。しかし、エンジンブレーキが利かなくても、フットブレーキが正常に機能すれば、安全に停止できた。

ということは、直接の事故原因は、次の二つに集約できる。

① T運転手が、フットブレーキを踏めば安全に停止できるのに、何らかの事情で、フットブレーキを踏まずに下り坂を走行した。

② T運転手は、フットブレーキを踏んで減速しようとしたが、何らかの原因によるブレーキの不具合により、ブレーキが利かず、減速できなかった。

①であれば、運転手は、自らも死亡しているが、「加害者」の立場、②であれば、乗客やもう一人の乗員とともに「被害者」の立場となる。

そのいずれであったのかで、警察の捜査の方向性は全く異なってくる。

事故原因究明のための警察捜査は、①②のそれぞれについて、原因となるあらゆる要素を想定し客観的な立場で、その可能性、蓋然性の有無を検討していくことが必要となるはずだ。

長野県警の捜査は、事故直後は、①②のそれぞれを想定して行われていたと思われるが、1月17日に、事故車両のメーカーである三菱ふそうの整備工場に事故車両が持ち込まれて検証が開始されて以降は、①の方向に集中していく。そして、「運転未熟のために操作を誤り、ニュートラルで走行したために、速度が制御できない状況となり、事故に至った」というストーリーに収れんしていく。

一方で、②については、具体的にどのような捜査が行われたのかも明らかにされていない。

そもそも、②の方向の事故原因の可能性について検討するのであれば、事故原因如何では重大な責任を負う可能性のある事故車両のメーカーの整備工場に事故車両を持ち込むこと自体に重大な問題がある。本来、事故車両と無関係な整備工場に運び込んで、第三者的な立場の専門家による検証を行うべきであった。三菱ふそうの整備工場で事故車両を検証することにした時点で、②の方向での事故原因は、事実上棚上げしたように思える。

事故原因から②を排除することになると、 ①しか残らないことになるが、この警察ストーリーに対しては、当初から疑問視する見方があった。

「鑑定士のブログ」での指摘

事故直後から、「鑑定士のブログ」と題する個人ブログで、事故に関する発信を続けてきたO氏は、事故当時、運行会社のイーエスピーに勤務していた大型バス運転手であり、事故で死亡したT運転手を同社に紹介した人物であり、T運転手の運転技術のレベルを最もよく知る人物だ。

1月24日のブログでは、以下のように述べて、T運転手の運転ミスが事故原因だとする警察の見方に疑問を呈している。O氏が、事故原因が運転技量の問題とされたことについて、亡くなったT運転手に代わって、反論を述べているように思える。

まず、T運転手の運転技量について、

Tは、大型ダンプと中型バスの経験はしっかりとあり、合計で20年以上の運転経験から考えたら、同じシステムのブレーキやシフト関連での経験不足という事はあり得ないし、大型ダンプの車幅はバスと同じ、長さの違いさへ(原文ママ)クリアすれば、大型バスへの移行はそんなに難しい事ではない。

現在では、中型バス以上や4t以上の車では、シフトレバーはフィンガーという形式が大多数で、昔ながらの棒シフトは、皆無と言って良いほど少ない。

と述べている。

この点に関連して、事故現場に至るまでのルートについて、以下のように指摘している。

国道18号線を高崎市から事故現場まで走行すれば判る事だが、あの下り坂に近い道路状態は幾つかある。

安中市から碓氷バイパスに至る途中の、松井田から横川付近は、急な下り坂にカーブもあり、あの事故現場と同等か、それ以上の危険を感じる場所もある。

松井田妙義インター手前の急な下り坂にカーブ、その先の陸橋からインターに至る下り坂のカーブ、それを通過して、釜飯のおぎのやさんに至る下り坂とカーブに、碓氷バイパスと旧道の分岐のカーブに下り坂。

それらを丁寧にクリアし、急カーブが続く急な登り坂をクリアしたからこそ、お客様は寝ていたのであり、あの1キロ地点では、ブレーキも適切に使っていたと考えるのが正しい。

つまり、O氏は、事故に至るまでにT運転手が運転したと考えられる同様の下り坂の個所を、具体的に挙げ、T運転手の運転技術が未熟であったために下り坂の運転操作を誤ったとすると、事故に至るまで、同様の下り坂を問題なく安定走行していたことの説明がつかないと指摘しているのである。

そして、O氏のみならず、誰しも思う当然の指摘をしている。

場所は下り坂だ。

スピードが上がってくる。

経験の有無より、まずは全ての運転者は危険を感じてブレーキ(制動)を踏むはずだ。

緩やかな下り坂なら、制動に排気ブレーキを選択したとしても、運転者なら制動を選択する。

つまり、余り排気ブレーキが効かなかったとしても、当然シフト操作と同時かそれよりも優先して、フットブレーキを踏んでいなければならない。

これはお客様の為に以前の問題で、減速しなければ事故になるし、事故になれば自分も無事には済まないし、死ぬかも知れない。

自分の保身の為にも絶対にフットブレーキは使ったはずだ。

スピードが上がって怖くなったら、新米だろうがベテランだろうがブレーキは踏んで当然。

「全ての運転者は危険を感じてブレーキ(制動)を踏むはずだ。」というのは、あまりにも当然であり、「運転未熟のために、ギアをニュートラルにしたまま、加速しているのにフットブレーキを踏むこともなく、漫然と下り坂を下っていった」という警察のストーリーは、運転者の行動としてあり得ないという指摘だ。

O氏は、T運転手の運転技能に関する極めて重要な関係者である。それに加え、大型バス運転手としても、本件事故現場を含む道路での豊富な運転経験がある。

T運転手の運転技量の程度については、T運転手がイーエスピーに採用された後に、大型バスの運転技量を確かめるために試乗したのは、O氏とM氏の2人である。O氏が、「乗客を乗せて大型バスを運転するに十分な技量を備えていた」と証言するのに対して、M氏は「運転が未熟だった」と証言している。いずれの証言が信用できるかが問題になるが、O氏は、事故直後から、ブログで、事故の被害者・遺族に対して、謝罪の言葉を繰り返しつつ、一貫して、T運転手の運転技量には問題なかったと述べており、しかも、O氏は、事故の5カ月後の6月に、遺族と直接会って、同様の説明をしている。その理由について「ご遺族の悲しみが少しでも癒えるなら……それがお会いする俺の唯一の理由です。」とブログで述べている。

O氏にとって、T運転手の運転技量が乗客を乗せて大型バスを運転させるのが危険なほど未熟であったのに、敢えて紹介したとすれば、事故について責任の一端があるということになる。検察官は、その責任を回避しようとする動機があると主張するのかもしれない。しかし、O氏は、事故後、イーエスピーを退社しており、責任と言っても、法的責任ではない、むしろ、発言を動機づけているのは、遺族に対する謝罪の気持ちと、亡くなったT運転手の無念を晴らしたいという思いであろう。O氏が、認識に反することをブログで述べたり、法廷で証言したりするとは思えない。

そういう意味では、T運転手の運転技量については、O氏のブログの内容も、公判証言も、信用性が十分に認められると言えよう。

O氏の供述は、警察が事故原因を①の方向でとらえて業務上過失致死傷罪を立件する上で、大きな障害になるものだった。