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大坂夏の陣 激戦地をめぐれーっ!!スタンプラリー
大坂夏の陣
大坂の陣は豊臣家と徳川家の戦いのこと。誰もが社会の授業で習った歴史的重要な戦いでもあります。

僕自身、詳しく説明しろと言われると、なかなか説明できません。
そこで織田信長が自害した本能寺の変の戦国時代から江戸時代の大坂の陣までを簡単に書き出してみました。
本能寺の変
1582年6月21日早朝に明智光秀の謀反により、本能寺で織田信長が襲撃され、最後は自害した。
天下統一
1591年9月に豊臣秀吉による天下統一。
豊臣秀吉の死
1598年8月18日に62歳の生涯を終える。
関ヶ原の戦い
1600年に毛利輝元を総大将とし結成された西軍と、徳川家康を中心に構成された東軍とが関ヶ原で戦う。東軍の勝利。
江戸幕府
1603年に徳川家康が征夷大将軍に任官し、江戸に幕府を開く。
大坂冬の陣
1614年、徳川方と豊臣方の関係が悪化する中、7月に京都・方広寺梵鐘の銘文が徳川家康の怒りをかい、このことが大坂の陣の発端となる。徳川家康は茶臼山に本陣を置き、約20万の大軍で大坂城を包囲したのに対し、豊臣方は約10万で大坂城に籠城する。12月に和睦が成立するが、徳川方の条件は大坂城の外堀を埋めることだった。この条件が夏の陣の大敗を呼ぶ。
大坂夏の陣
1914年の和睦の翌日から堀の埋立が始まり、外堀だけの条件が破られ、徳川家康は内堀まで埋めてしまい、再び両家の緊張が高まる。1615年4月に樫井の戦い、5月5日に道明寺・八尾若江、5月7日に天王寺口の戦いと再び決戦のひぶたが切って落とされた。徳川方約15万に対し、豊臣方約5万5千で応戦。真田幸村・木村重成、本多忠朝など名だたる武将が討ち死にした。5月8日大坂城は落城。豊臣秀頼と淀殿は自害し、豊臣家は滅亡。戦国時代最大にして最後と言われる戦いは終焉を迎えた。
大坂夏の陣 激戦地をめぐれーっ!!スタンプラリー
大坂の陣は最終的に徳川方の勝利に終わりました。その激戦地を歩いてみようと思って四天王寺へ向かったところ、「大坂夏の陣 げ金銭地をめぐれーっ!!スタンプラリー」というものがありましたので、台紙(100円)を購入してたどってみました。

この台紙は、堀越神社(ほりこしじんじゃ)、安居神社(やすいじんじゃ)、一心寺存牟堂(いっしんじぞんむどう)、四天王寺(してんのうじ)、一心寺(いっしんじ)、庚申堂(こうしんどう)と天王寺区民センターで販売しています。スタンプは、堀越神社、安居神社、茶臼山(スタンプの設置は一心寺存牟堂)、四天王寺、一心寺、庚申堂の6ヶ所で押すことができます。スタンプはどこから回っても(順番でなくても)かまいません。各社寺で捺印できる時間は9時から16時までです。

大坂夏の陣
前述のおさらいです。
大坂夏の陣は日本史上最大の内戦と言われています。慶長20年(1615年)5月7日、天王寺で決戦の火ぶたが切られた。徳川約15万の軍勢に対し、豊臣方は5万5千。茶臼山や庚申堂付近の谷筋を中心に激戦が繰り広げられた。翌日8日には大坂城が落城。秀頼と淀殿は自害し、豊臣家は滅亡した。戦国時代最大にして最後といわれる戦いは、終焉を迎えた。
