3. 下鴨神社の見どころ
下鴨神社を参拝するルートは主に2つ。出町柳駅から徒歩2分の南側の鳥居をくぐり、本殿に向かう「表参道」ルートと、バス停「下鴨神社前」から入る「西参道」ルートがあります。
今回は、「糺の森」の自然に触れながら、縁結びの神様「相生社」「連理の賢木」にも寄れる、見どころがいっぱいの「表参道」側から歩いていきましょう。
3.1 表参道

下鴨神社敷地のほぼ真南にある「一の鳥居」を抜けると、約300mの広々とした参道が本殿まで続いています。これが「表参道」です(ちなみに東京の表参道は、明治神宮のメインの参道でを指します)。
両側を糺の森に囲まれた表参道は、毎年5月の葵祭(京都の三大祭のひとつ)の際には平安装束の行列が厳かに進みます。
京の七不思議のひとつにこの表参道や糺の森に植えられた赤椿があります。これには理由があります。
下鴨神社の神職は位が高く、朝廷から訪れる勅使の方が位が低かったため、下鴨神社の神職は朝廷の使者の顔を立てるために、神主の装束の赤色が目立たぬよう、足元に赤椿を植えたと言われています。下鴨神社がいかに特別であったか伺える話ですね。
3.2 糺の森

下鴨神社のある場所は高野川と鴨川に挟まれた三角州に位置し、その恵まれた土壌から、3000~4000年前(縄文時代)から人の営みがあったそうです。
南口鳥居(詳細は後ほど説明します)から本殿へ続く表参道添いの「糺の森」は今でも縄文時代の植物の生態がそのまま残っているとされています。また、樹齢600年を超えた巨木が、今でも年輪を重ね続けています。

<泉川>
糺の森は、南北に上記写真の「泉川(いずみかわ)」や「瀬見の小川」などが流れ、川のせせらぎと木の葉のそよぐ音だけが聴こえます。
3.3 船島

<上記写真左手の岩垣が「船島」>
下鴨神社の境内を流れる「御手洗川(みたらしがわ)」と「泉川」の三角州の辺りには、「船島」と呼ばれる場所があります。
この船島にも七不思議があり、戦乱時に船島周辺の川の流れをぐるぐるとかき回し、小石がはねると願い事が叶うと言われています。数々の戦乱の際、多くの人々が川をかき回したのではないでしょうか。
3.4 烏縄手(からすのなわて)

その昔、糺の森の中には、神社への細い参道が木と木の間に無数にあったそうで、その細い道は「鳥縄手」(からすのなわて ※『なわて』は細い道という意味)と言われ、「京の七不思議」の一つとされてきました。
今はその細い道の一部が復元されており、森へ入る遊歩道として利用されています。
3.5 南口鳥居

表参道から 300mほど入った「南口鳥居」は、写真のように参道が一挙に広くなっています。写真にはありませんが、鳥居近くの「さるや休憩所」にはベンチもあるので、歩き疲れた方は休憩してもよいでしょう。

南口鳥居前の手水舎(てみずしゃ)は、2本の小川が近くを流れていることもあり、一年を通して清らかな水が流れ続けています。
この手水舎に水を注ぐ樋は、「糺の森のヌシ」と言われていた樹齢600年のケヤキを再利用して作ったものです。古木は枯れてもなお、下鴨神社を守り続けているんですね。
3.6 縁結びの神様・相生社

南口鳥居を入ってすぐの小さなお社では、カップルや夫婦が手を合わせる姿が目立ちます。この「相生社(あいおいのやしろ)」は日本書紀や「古事記」にも出てくる「産霊神(むすひのかみ)」を祀った「縁結びの神様」として知られているのです。

紅白の紐で結ばれたシンプルな絵馬が、相生社の朱色の欄干に映えます。絵馬掛けにびっしりかかったその数に、参拝される方の縁結びへの強い想いが感じられます。
この「えんむすび絵馬」は相生社の横にある「授与所(じゅよしょ)」でいただくことができます。大切な人と今後もうまくいくことを願ったり、生まれてくる子供の将来を願ったりと、願いは人それぞれのようです。
3.7 恋人の聖地? 連理の賢木

相生社の横にあるの「連理の賢木(れんりのさかき)」は、縁結びだけでなく、家族や大切な人との絆を願うスポットです。なぜ、この木に願い事が願われるようになったのでしょうか?
見れば見るほど不思議な伸び方をしている連理の賢木を、横から見てみましょう。

1本に見えるこの木は、実はそれぞれ2本の別の木なのです。伸びていった2本の木は、いつしか近づき、ついには結びついて1本の木となり寄り添うように伸びていく......寄り添った2本の木は、今日も空に向かって伸びているのです。これも七不思議のひとつです。
縁結びの力のせいか、眺めているうちに無性に筆者の家族に電話したくなってしまいました(「忙しいから」と10秒で切られましたが......)。
3.8 相生社・連理の賢木にお参りするには?

お参りの方法は願いごとを思いながら上記写真右手の鳥居をくぐり、道なりに相生社を3周回ります。女性はお社に上記写真の正面から向かって右周り、男性は左周りに進みます。
3周目の途中で絵馬を絵馬掛けに奉納し、その後、相生社にお参りするのです。

男性は「連理の賢木」の左横に道があるので、こちらから周ります。そこそこに狭いので、足元に注意して周ってくださいね。

「連理の賢木」参拝の際は、鳥居の左手にあるこの綱を2回引いて、鈴を鳴らしましょう。これにて、相生社~連理の賢木のお参りは終了です。

それぞれの願い事を願ったあとは、隣の授与所(お守りなどの販売所)で源氏物語にちなんだ「縁結びおみくじ」を引くのもおすすめですよ(初穂料300円)。
3.9 さざれ石

国歌「君が代」にもうたわれている上記写真右手の「さざれ石」(「小さな石」という意味)は、年とともに大きく成長するといわれる石です。
神霊が宿っているといわれ、国歌でうたわれるように年月を重ねて岩となり、苔が生えるまで年月を重ねるその姿は、生命の力強さを感じさせるパワースポットとして人気を集めています。
この「さざれ石」は明治記念館、道明寺天満宮、岐鶴岡八幡宮にもあるので、その力強さを感じるべくさざれ石巡りも良いでしょう。
3.10 楼門

相生社の前には朱色の楼門がそびえています。式年遷宮(伊勢神宮の神体の移動)に合わせて21年ごとに解体・修理されていて、色鮮やかさを保っています。空に朱色が映えてますね。
3.11 舞殿

楼門をくぐると目の前にあるのが、この舞殿(まいでん)です。空をつくように伸びる甍(いらか)の力強さが印象的ですね。
舞殿では、5月の葵祭をはじめとした行事の際に能や舞の奉納を見ることができます。また、過去に俳優・佐野史郎さんによる怪談朗読会が行われるなど、ほかにもさまざまな催し物が行われています。

舞殿の横にある上記写真の「媛小松」は、古今和歌集に登場した歴史のある松の木です。舞殿とのコントラストが美しいですね!
3.12 「なんでもひいらぎ」って? 比良木社

比良木神社の社殿は、下鴨神社の本殿だったものが1629年(寛永6年)の式年遷宮の際に移築されたものです。
初めて建てられたのは1581年(天正9年)。現在の下鴨神社の中でもっとも古い社殿なのだとか。「桶狭間の戦い」があった頃からここに建ち続けているんですね。

厄年に比良木社前に献木(木を寄付)すると、その木は「柊」(ひいらぎ)となって願い事が叶うそうです。
「なんでもひいらぎ」といわれる京の七不思議です。周りには献木された方の名前が書かれた木が何本かあり、信仰を集めているさまが伺えます。
3.13 御手洗社の池の泡

楼門に向かって右側に小さな川(御手洗川)が流れていて、その流れは上記写真の小さなお社の中から流れ出ています。このお社「御手洗社(みたらししゃ)」は川の源流の上に立っていて、井戸の上に立っていることから「井上社(いのうえしゃ)」とも呼ばれています。
鎌倉時代に後醍醐天皇がこの水をすくったところ、泡が浮かび上がってきたそうです。そしてこの「御手洗池の泡」をかたどってできたと言われるのが「みたらし団子」なのです。いわばここは「みたらし団子発祥の地」ですね。
毎年7月の「御手洗祭」には多くの人々が集まり、神事を行います。その模様は後ほど触れましょう。

「御手洗社」の北側には小さな授与所があり、ここで「水みくじ」をすることができます(初穂料300円)。まだ白紙の「水みくじ」を、御手洗川の流れに流されないように浸してみると......

何と不思議、おみくじの文字がすっと浮き上がってきます。見とれているうちに流されないように注意しましょう。
3.14 いよいよ本殿へ!

中門をくぐると、いよいよ上記写真の本殿へ入っていきます。国宝にも指定されている本殿は東殿(玉依媛命を祀っている)と西殿(賀茂建角身命を祀っている)で対をなしていて、独特な色の狛犬(こまいぬ)が奥に鎮座しています。このエリアは写真撮影禁止なので、しっかりその目で確かめましょう。
3.15 言社

本殿の前には7つのお社があり、12の守護神が祀られています。その数を聞いてピンときた方も多いはず、この「言社(ことしゃ)」と呼ばれるお社は、干支の「十二支」(じゅうにし)を祀っているのです。

上記のように十二支が祀られています。本殿横には十二支ごとの絵馬もあるので、これを入手した上で、間違えずに自分の干支の社殿をお参りしましょう。
3.16 特別拝観で「裏の回廊」へ!

御手洗社の北側には特別拝観の入口があり、授与所で受け付け後、「大炊殿」に入ることができます(初穂料500円)。

大炊殿に向かうまでの「浦の回廊」は、その名の通り本殿の裏側です。比較的狭い歩道なので、こちらも足元に注意です。
3.17 お供え物のキッチン・大炊殿

この「大炊殿」(おおいどの)は、ご飯やお餅などで作られる「神饌」(しんせん ※神様のお供え物)を調理していた場所です。

子供がひとり入れそうなほどの巨大なかまどの奥には、使い込まれた食器もあります。この場所はいわば「神様のためのキッチン」です。

盛り付けられた神饌は、この台に乗せられ、4人掛かりで担いで運ばれていました。
大炊殿は、政府の精読改革によって明治時代後期にはほとんど使われなくなってしまいましたが、現在でも重要文化財として保存されています。
3.18 薬草が育つ「葵の庭」

<上記写真中央に4本並んで生えているのがかりん>
この「葵の庭(あおいのにわ)」は、別名「かりんの庭」とも呼ばれかりんが瑞々しい葉をつけ、頭上に延びています。
薬草も多く育てられヌルデ、クチナシ、カツラ、ヤマウコギなど年中を通してさまざまな薬草が伸び、これらの薬草で薬酒が作られ、人々の健康を支えてきたのです。
そして庭の真ん中には「御井(みい ※井戸のこと)」があり、庭の南側には葵祭に欠かせないフタバアオイが葉を広げています。
頭上に咲き乱れるカリンの古木の葉、庭の薬草や樹木の手入れも行き届いており、この庭の植物が丁寧に手入れされている様子がうかがえます。

また、庭の西側にある御車舎(おくるまや)は、牛車が展示されています。
3.19 女性の美の神様・河合神社

糺の森の南西にある「河合神社」は古くから下鴨神社の本宮に次ぐ第一摂社として、何度も歴史に登場します。
御祭神の玉依姫命(たまよりひめのみこと)は安産や厄除けなど、女性を護る神様として知られるだけでなく、その美貌でも知られていたことから「美容の神様」とされています。
参道側からの看板には「女性守護 日本第一美麗神」の文字が踊っています。
3.20 鴨長明の方丈

<鴨長明が書き物や和歌に勤しんだ庵>
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」から始まる随筆「方丈記」を、高校の教科書などで目にした方も多いのではないでしょうか?
その「方丈記」の著者である鴨長明(かものちょうめい)は、この河合神社の神職の家系に生まれ育ちました。「新古今和歌集」にも何と10首も採用されるほどの和歌の達人として知られた鴨長明ですが、最後まで河合神社や下鴨神社の要職に就くことはできませんでした。
しかし、50歳を越えて出家した後に書かれた「方丈記」は「枕草子」「徒然草」とならぶ「日本三大随筆」として、今もその名を知られています。

<庵の足元の組み木は可動式になっている>
河合神社の境内にある「方丈」は、その鴨長明が書き物や和歌に勤しんだ庵(いおり)を再現したものです。
約3m四方の方丈は、何と「可動式」! 足元の組み木はすぐに外せるようになっており、好きなところへこの方丈を移して数々の作品を書き上げていたそうです。
今でもノートPCを持ち歩いてカフェを転々とする「ノマド」と呼ばれる人がこの記事を書いていますが、鴨長明が鎌倉時代の「元祖ノマド」だったとはおどろきです。
3.21 サッカーの神様・任部社

河合神社の本殿横では、おおよそ神社らしくない光景が見られます。

お賽銭箱の奥に見えるのは、びっしりサインが書き込まれたサッカーボールが並びます。 実は、この神社は「サッカーの神様」としても知られているのです。
この「任部社(とべしゃ)」の御祭神・ は八咫烏(やたのからす)と呼ばれるカラスであったことにちなみ、現在のサッカー日本代表のシンボルマークも八咫烏をモチーフにしています。
そして、大事な試合の前は、サッカー日本代表選手たちがこの任部社にお参りをするのが恒例となっています。
それにしても、サインボールの顔ぶれの豪華さ半端ないって!
3.22 雑太社

最近にぎわいを見せているのが、河合神社横の「雑太社」(さわたしゃ)です。実はこの場所は、1910年(明治43年)に関西で初めて「ラグビー」(当時は「ラグビ」)が行われた場所なのです。
この社の御祭神「神魂命(かんたまのみこと)」の「魂(たま)」は「球」に通じているといわれ、社殿の横にはラグビー部の寄せ書きや、ラグビー日本代表への応援メッセージが目立ちます。
ここでラグビーを行った慶応義塾や旧・第三高等学校(現在の京都大学)のラガーマンも、まさか日本代表がスコットランドに勝つ日が来るなんて思わなかったでしょうね。

上記写真のラグビーボールの形をしたかわいい絵馬は、河合神社の授与所で手に入れることができます(初穂料500円)。
4. 下鴨神社の年中行事
下鴨神社は年間を通してさまざまな行事が行われています。ユニークな「みたらし祭り」などもあるので、ひとつずつ見ていきましょう。
4.1 葵祭(あおいまつり)
毎年5月15日に行われる「葵祭」は、京都の三大祭のひとつです(残り2つは祇園祭・時代祭)。藤の花で飾られた御所車(馬車)や500名もの平安装束をまとった人々の「葵祭行列」は壮観のひとことです。
上記写真中央の輿に乗っているのは「斎王代(京都ゆかりの未婚の女性から選ばれた人)」。例年の斎王代の決定の知らせは、京都に春を告げる大きなニュースでもあります。
葵祭では斎王代と女人たちが御手洗川に手を浸して身を清める「御禊の儀(みそぎのぎ)」が行われ、注目を集めています。
葵祭の歴史は古く、『続日本紀』の文武天皇2年(698)年には「葵祭の見物人がたくさん集まるので警備するように」と指示があったとの記述があります。まだ平安京が造営される前から、葵祭は盛大に行われていたようですね。
4.2 みたらし祭
みたらし祭(御手洗祭)は「足つけ神事」とも呼ばれ、御手洗社の前の御手洗池とそこから流れる御手洗川に足をつけ、無病息災を祈願するのです。
ふだんはあまり多くない御手洗川の水ですが、土用の丑の日の前になると水が増え、訪れた人々が足をつけることができる水量になるそうです。これも七不思議のひとつです。
4.3 流鏑馬神事
毎年5月3日に、葵祭に先立って行われる儀式が、この「流鏑馬神事(やぶさめしんじ)」です。武官束帯姿(ぶかんそくたいすがた)の射手が、菱形の的を鏑矢(かぶらや)で射貫いていくその迫力は見ものです。