結果
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以下、精神科医の先生との会話
医師「結論から申し上げますと、駒崎さんは発達障害ではない、という結果が出ました」
駒崎「え。いや、え、いやいやいやいや!先生、それはちょっとないでしょう」
医師「結果をもとにご説明しますね。まずFSIQ、これは全体IQですが、平均100のところ、駒崎さんは126です。上位3%に属します。言語理解VCIのIQは130で、これは上位2%です。単純なことを処理する能力は105なので相対的にやや低いですが、それでも平均以上です。全体として、非常に知能が高いんです。特に言語能力に関しては、人の2倍あると思ってください。
そうだとすると、一般的にですが、周りの人にとっては、駒崎さんの思考のスピードについていけない、ということがまま起きるでしょう。ABCDという論理があったとして、駒崎さんはBCが自明でA→Dという風に話を進めようとしますが、周りの人にとっては飛躍に感じるので理解できません。駒崎さんにとってはイライラしてしまったり、話が通じないという感覚を持つでしょう」
駒崎「マジですか。今まで、「みんな理解してくれない。それは僕を愛してくれていないから、好きじゃないから」と思っていました」
医師「単に言語能力などの話なので、そうではないでしょう。話のスピードを合わせたり、噛み砕いたり、最後まで人の話を聞いたりすることで改善できるしょう」
駒崎「いや、でも納得できません。小さい頃から授業では退屈で動き回っていたし、だから先生にも嫌われていて、学校が嫌いだったんです。典型的な多動でしょう。知能が高いと言っても、別にテストの点数もそこまで良かったわけではありません」
医師「授業が退屈だったのは、簡単すぎたからなんでしょうね。知的能力が高いと、先生が劣っているように見えてしまうこともあります。多動の傾向はありますが、それも障害というレベルではありません。むしろ強みになっているような気がします。また、テストで測れる能力は処理能力ですが、そこが相対的に強いわけではないから、分かりづらかったんでしょうね」
駒崎「うーん、でも、これじゃあ僕は「単にコミュニケーション能力がない人」ってことになるじゃないですか」
医師「コミュニケーション能力が無いのではなくて、周囲と理解したり考える速度や質が違うだけなので、努力によって改善が可能です。
駒崎さん、IQが高いというのは、基本的には良いことです。
その能力の高さを生かしていけば、駒崎さんの抱えていらっしゃる課題は解決できるのでは無いでしょうか」
駒崎「・・・。これ、もしかしてもっと早く受けた方が良かったんじゃないですか。そしたら生きづらい思いしなくて済んだかもしれない。自分の人生、なんだったんでしょうか」
医師「そうですね。一般的にはこういう検査は受けませんしね。ただ、「受ける必要がある」という強い動機がなければ、それを生かすこともできないので、今が良いタイミングだったんだと思いますよ」
受け止め
自分としては、とてもショックを受けました。
自分が小さい頃から30数年抱えてきた生きづらさ。それは他者や周囲の環境のせいだと思っていたものが、実は自分側に要因があった、ということ。
自分で創り出していた幻想(誰も自分を分かってはくれない)に苦しめられてきた人生だったこと。苦しみや生きづらを感じる必要がなかったかもしれないことに、愕然としたのです。
第三者の方からすると、「発達障害じゃなかったから良かったじゃん」「自分が思うより頭が良かったんだから、何もショックを受ける必要なくない?」という風に言われてしまうかもしれないのですが、自分が持っていた認知で失ってきたもの、理解せずに断ち切ってしまった人との繋がりを思うと、本人としては悔いても悔いきれない思いを感じてしまいました。
しかし、同時に「これからどうしたら良いか」も見えてきました。自分としては以下の施策を取っていくことにしました。
- 「コミュニケーションが苦手」というのは特性ではなく、努力で克服可能な「能力」として位置付け、トレーニングを行う
- 具体的には「聴く」ことを徹底し、受容的・共感的コミュニケーションを行えるように訓練する
- 意識してなかった、「自分の思考速度」「自分の知的能力」を意識し、周囲に対し考えをアウトプットする時に受け取りやすく、理解しやすく工夫する
- 「理解されない」ことを「受け入れられていない」「好かれていない」と誤読しない。単に説明不足なだけ