戦国時代から安土桃山時代にかけての武将である蒲生氏郷(がもううじさと)をご存知でしょうか?

蒲生氏は、鹿児島神宮の大宮司である藤原教清を祖とする藤原氏の一族です。滋賀県にある、近江国蒲生郡日野にて、六角承禎の重臣・蒲生賢秀の三男として生まれた蒲生氏郷。キリシタン大名としても有名で、織田信長、豊臣秀吉に仕え、文武に秀で、歴史ファンの間でも人気の高い蒲生氏郷は、どんな人だったのでしょうか?

今回は、映画やドラマのロケ地としても知られ、聖地巡礼としても多くの人が訪れる、戦国武将・蒲生氏ゆかりの日野を中心にご紹介したいと思います。

目次
蒲生氏郷とは
近江商人(日野商人)を知る日野まちかど感応館(旧正野玄三薬店)

蒲生氏郷とは

渡来人から戦国武将まで 歴史ロマンあふれる近江国日野を巡る
(画像=『たびこふれ』より引用)

中世の時代に、近江国蒲生郡日野の一帯に勢力を誇った一族である蒲生氏。

40歳の若さで生涯を閉じた蒲生氏郷は、数々の戦場で武功を立てただけでなく、領地の経営や家臣団の統制にも長けていたそうで、世に優れる利発人と称された「戦国武将」だったそうです。

近江商人(日野商人)を知る日野まちかど感応館(旧正野玄三薬店)

日野まちかど感応館では、日野商人が発展を導いてきたヒントを見ることができます。

滋賀県の東部、湖東地方の各地から江戸時代より輩出した商人を近江商人といいますが、近江商人の中でも日野地方出身の商人は日野商人と呼ばれていました。他の近江商人と比べ、群を抜いて数が多かったそうです。

行商の有力商品だったものは「合薬」でした。正野玄三という医師が、医薬に恵まれない山間辺地の人や日野商人の長旅の道中薬として漢方医薬である「感応丸」を作りました。この合薬を日野商人が全国に売り歩いたそうです。

観光案内所や休憩所として多くの人が訪問する日野まちかど感応館は正野玄三家の薬店だった建物です。今もなお「万病感応丸」の大きな看板が掲げられています。

軽食コーナー「にぎり飯・惣菜 みかく」や「ギャラリーTUTUMU」では、映画やドラマでロケ地として使われた場所の紹介を写真などで見ることができました!

渡来人から戦国武将まで 歴史ロマンあふれる近江国日野を巡る
(画像=『たびこふれ』より引用)

3月のひな祭りの季節には、数多くの様々な時代で大切にされてきた『雛人形』を見ることができますよ。

渡来人から戦国武将まで 歴史ロマンあふれる近江国日野を巡る
(画像=『たびこふれ』より引用)
  • 住所:滋賀県蒲生郡日野町村井1284番地
  • 電話:0748-52-6577
  • 開館時間:9:00~17:00
  • 休館日:月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始