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輸送の要として日本の近代化を牽引した鉄道。廃線跡は人気観光地に発展
生糸、絹製品、貿易品だけでなく、人も港まで鉄道でやって来た
輸送の要として日本の近代化を牽引した鉄道。廃線跡は人気観光地に発展
1858(安政5)年、日米修好通商条約が締結され、翌年に横浜が開港しました。絹、綿、お茶、特に生糸や絹製品は輸出の主力となり、これらの輸送の要となったのが鉄道です。貨物線は横浜港の隅々まで延びていました。

1907(明治40)年アメリカで製造された港一号橋梁です。
この先にある港二号橋梁も同年アメリカで製造されたものです。さらに先にある港三号橋梁は1906(明治39)年イギリスで製造されたものです。
かつての横浜臨港線の廃線跡が「汽車道」と命名され桜木町駅から赤レンガ倉庫までのプロムナードとして整備されました。鉄道遺産が観光地として再び脚光を浴びることになったのです。今では上空を都市型ロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN」が運航されています。

1912(大正元)年、浦賀ドックで組み立てられた新港橋梁です。山下ふ頭までの山下臨港線の廃線跡を汽車道と同様に大桟橋、山下公園へのプロムナードとして整備されました。
徒歩数分の範囲でアメリカ製、イギリス製、日本製と3国の歴史ある橋梁を楽しむことができます。
生糸、絹製品、貿易品だけでなく、人も港まで鉄道でやって来た

旧横浜港駅プラットホームです。
1911(明治44)年、横浜税関の構内荷役所として建設され、1920(大正9)年7月23日に横浜港駅となり、東京駅から初の汽船連絡列車が走りました。
華やかな海外航路最盛期の1928(昭和3)年に外航ターミナルに沿ってプラットホームは建設されました。1959(昭和34)年頃までポートトレインと呼ばれる列車が氷川丸の出航に合わせて運転されていました。今は、赤レンガパークの休憩所として、すぐ隣りにある「赤レンガ倉庫」への観光客が利用しています。
横浜と言えば港町(特に歌謡曲では)と答える方もいらっしゃると思います。港町横浜は開港して間もなくの150年前から港への貨物、人の運搬手段として圧倒的な存在感を示した鉄道の町になったのです。
皆さんも、鉄道という視点から港町横浜を観光されてみてはいかがですか。
文、写真・車掌かんちゃん/提供元・たびこふれ
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