土のう作りで「後方支援」
こうして、約1週間の籠城生活の後、かろうじて米軍に無事救出され、フエ郊外の臨時の米軍基地にしばらく身を寄せました。まだ北越軍やベトコンが町を包囲している状況で、フエからダナンの米軍基地まで脱出するヘリコプターの空きがなかったからです。その間も共産側が米軍基地のすぐ近くまで攻撃を仕掛けてくる。特に危険なのは夜襲で、応戦する米兵たちも必死。撃たなければ撃たれる。だから「動くものはすべて撃つ」が鉄則。睡眠不足と極度の緊張で目を真っ赤にして銃にしがみついています。
突然、米兵の一人が、傍で「観戦」していた私に黙って小銃を差出し、撃ってみろと目で合図しました。米軍のM16ライフル銃は、ベトコンのカラシニコフ銃より大型で数倍重い。米軍基地で保護を受け、“一宿一飯の恩義”もあるので、ついその銃を手に取りかけましたが、思いとどまりました。戦争を放棄した国の外交官が銃で実際に攻撃したとなったら、ただでは済まないと思ったからです。もし従軍カメラマンに現場を撮られ、新聞に載ったら完全にアウトです。
そこで、とっさに思いついたのは、銃を取る代わりに、土のうを作るお手伝いをすることでした。ベトコン側の迫撃砲弾が絶えず基地内に降ってくるので、米兵たちは、鉄板を二重、三重に重ね、その上に土のうをたくさん積んで、その下で仮眠をとるので、土のうはいくらあっても足りない。そこで、私は昼間はシャベルで土を掘って土のう作りに精を出しました。これなら直接戦闘活動に参加したことにはならず、一種の「後方支援活動」だから日本国憲法第9条にも抵触しないだろうと判断しました。(この話は、今回初めて公にするもので、当時大使にも外務大臣にも報告した記憶はありません。)
フエでの10日間の極限的な体験は、その後の私の日本外交官としての基本姿勢に少なからぬ影響を与えたことは間違いありません。あれから半世紀。今の私が、ベトナム戦争をどう考えているか。現在進行形のウクライナ戦争とも対比して、後日じっくり考えてみたいと思います。
(2022年4月29日付東愛知新聞令和つれづれ草より転載)
文・エネルギー戦略研究会(EEE会議)
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