北海道農業の窮状
終戦直後、北海道の農作物は収穫量が激減していました。戦時中に国から増産を命令されたため、農作物の安定生産を維持するための輪作体系(同じ土地で作物を交替して栽培する)が崩壊してしまったのです。ジャガイモや小麦の収穫量は激減し、とくに連作を嫌う豆類の収穫量がゼロに。
しかし、1950年(昭和25年)には全国的な農業生産は、ほぼ戦前の水準にまで回復していました。米を除く農産物の価格統制が段階的に撤廃され、ジャガイモや小麦は一般市場で自由に取り引きされるようになり、激しい価格変動や時には暴落にさらされるようになりました。
北海道特産のビートや大豆・麦などが相次いで暴落し、北海道の農家はその直撃をうけてさらなる困窮へと追い込まれていったのです。
ラベンダーに夢を託す
そこへ新しい農作物として登場したのがラベンダーだったのです。
戦後、曽田香料は北海道の自社農場でラベンダーの栽培を行う一方、農家と契約栽培という形で生産拡大を進めていきます。自由取引される他の農作物と違ってラベンダーは価格の変動や暴落がなく安定的に買い取られるため、農家は一定の収入が得られます。
窮地にあった北海道の畑作農家にとって、ラベンダーは希望の灯りとなったのです。
このようにして北海道でラベンダー栽培は急速に広まりました。1970年(昭和45年)には最盛期に達し栽培農家は全道で442戸、栽培面積は235.45ヘクタールに達しました。