富良野のラベンダー畑といえば、北海道の風景として有名で国内外の観光客に大人気のスポットですよね! でも、なぜ富良野はラベンダーなのでしょうか??

道民はみんな好き?!知っているようで知らない?! 富良野のラベンダーについて考察したいと思います。

目次
1 ラベンダーの始まりは
2 なぜラベンダー栽培なのか
3 北海道農業の窮状
4 ラベンダーに夢を託す
5 悲劇のはじまり
6 一枚の写真
7 おわりに

ラベンダーの始まりは

北海道のラベンダー栽培は1937年(昭和12年)にフランスから5kgの種が輸入されたことに始まりました。北海道での栽培が適しているとされ、1940年札幌南区の現在の東海大学札幌キャンパスがある所に日本初のラベンダー農場が誕生します。1942年には蒸留器が設置され、日本最初のラベンダーオイル採取に成功しました。

その後、終戦直後の1947年(昭和22年)に虻田郡ニセコ町の農家がラベンダーの栽培をはじめ、その2年後の1949年いよいよ上富良野町での栽培がはじまりました。 ニセコでの栽培は日本海側の気候が適さず短期間で衰退してしまいますが、富良野地域の栽培は順調に普及していきます。

なぜラベンダー栽培なのか

かつて日本では化粧品や香水などに使用される香料はすべて輸入品でした。しかし1923年(大正12年)関東大震災が発生し、復興の中で日本経済の再建には国内産業の育成が急務とされ、輸入品には高い関税がかけられることになりました。

これがきっかけで香料の国産化へ動くことになります。

最初にフランスからラベンダーの種を輸入したのは東京・曽田香料の創業者である曽田政治氏です。日本でラベンダーを栽培しようと、およそ30年もの期間、香料の取引をするフランスのアントワン・ヴィアル氏にラベンダーの種子を送ってほしいと頼みました。ヴィアル氏はその筋違いとも言える頼みを断わらず、私財を売ったお金でラベンダーの種をかき集め送ってくれたのです。

このフランスと日本の国境を越えた信頼関係・友情が今日の北海道のラベンダー畑へと繋がっていくのでした。