古田織部と織部灯籠

安土桃山~江戸初期の武将、茶人である古田織部をご存知でしょうか。千利休とは1582年頃より親交し、千利休に茶を師事しました。利休七哲の1人と呼ばれています。

秀吉の命で、利休の茶をあらため武門の茶法を広めたこともあり、茶の湯名人として名高い人です。竹筒のような茶入、形のひずんだ沓型茶碗(くつがたちゃわん)、多窓形式の茶室、景気を好んだ露地など織部が好んだ茶器や様式などは「織部好み」と呼ばれ、今でも日本の芸術に大きな影響を与えています。

織部は大坂夏の陣の時、豊臣方に内通したとして切腹。72年の生涯を閉じました。織部の墓は西陣・興聖寺にあります。興聖寺は「織部寺」とも呼ばれており、織部の像などもあります。

2022年は「千利休生誕500年」であり「織田有楽斎没後400年」という記念年なため、40年ぶりに一般特別公開された興聖寺では、織部好みに作庭されており、地面を深く大きく掘り下げ螺旋状の石段を降りた先に手水鉢を据えた「降り蹲踞(つくばい)」や、織部灯籠、茶室「雲了庵」なども見ることができました。

興聖寺でも見ることができた織部灯籠は、織部が創案した石灯籠であるといわれています。興聖寺の他にも北野天満宮や、仁和寺、大徳寺の塔頭『黄梅院』などで見ることができます。

四角柱の竿石の上部が十字架様に張りだし、地面に直接埋め込んで建てるのが主な特徴とされ、十字架の様な形やイエズス会を表す「IHS」が彫られてつことから、「マリア灯籠」や「キリシタン灯籠」とも呼ばれています。

生誕500年 千利休をめぐる京の旅
(画像=『たびこふれ』より引用)

<北野天満宮 マリア灯籠>

生誕500年 千利休をめぐる京の旅
(画像=『たびこふれ』より引用)

<興聖寺 織部灯籠>

生誕500年 千利休をめぐる京の旅
(画像=『たびこふれ』より引用)

<黄梅院 織部灯籠>

千利休を師事した高山右近や、利休の後妻である宗恩も敬虔なクリスチャンであったことから、茶の湯はキリスト教と関係あるのでは、と言われています。京都市の古田織部美術館にて「織部はキリシタンか?」展も行われたほどです。真相はどうなのでしょうか

陰陽道やキリスト教との関係も囁かれる千利休とお茶の世界。知れば知るほど奥が深いことがわかる世界です。

この機会に、ぜひ千利休をめぐる京の旅に起こしください。

文・写真・RICA NAKAJIMA/提供元・たびこふれ

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