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千利休が住んでいた晴明神社
利休が眠る大徳寺

千利休が住んでいた晴明神社

千利休の邸宅は、いまの晴明神社のあるところだと言われています。晴明神社には、「千利休屋敷跡」の石碑も見られます。御存知の通り、晴明神社は陰陽師として知られる安倍晴明を祀る神社です。

生誕500年 千利休をめぐる京の旅
(画像=『たびこふれ』より引用)

なぜ、利休が晴明神社の境内に居を構えていたのか、はっきりしたことは分かっていないようです。

ただ、面白いことに、千利休のわび茶には陰陽道の影響がある、といった説もあるようです。わび茶に使われる茶筅が「木」、炉が「火」と「土」、窯が「金」、そして茶をたてる「水」と、陰陽道の基本である「木火土金水」の五行が取り入れられているというのです。もしかしたら千利休は陰陽道について勉強していたのかもしれませんね。

利休は自害で生涯を終えました。しかし、その真相は、わかっていないそうです。秀吉の怒りを買ったから、というのが有力な説のようです。利休自身の雪駄履きの木像を楼門の2階に設置し、その下を秀吉に通らせたことで秀吉が怒ったのではと言われています。言いがかりじゃないかと思われますが、秀吉をなんらかの理由で怒らせたのは事実なのでしょう。

天正19年(1591年)に、利休は切腹を命じられました。利休の首は、晴明神社の前にある一条戻橋で、秀吉を怒らせた原因となった自身の木像に踏まれる格好でさらされたといいます。

生誕500年 千利休をめぐる京の旅
(画像=『たびこふれ』より引用)

<旧一条戻橋>

生誕500年 千利休をめぐる京の旅
(画像=『たびこふれ』より引用)

<現在の一条戻橋>

利休が眠る大徳寺

利休の墓は現在、臨済宗大徳寺派の大本山「大徳寺」内の聚光院(非公開)にあります。

生誕500年 千利休をめぐる京の旅
(画像=『たびこふれ』より引用)

<大徳寺三門>

大徳寺は織田信長、豊臣秀吉など戦国武将ゆかりの塔頭(大きな寺の敷地内にある独立寺院)が建立されたことでも知られます。塔頭の多くに茶室が設けられているため、「大徳寺の茶面(ちゃづら)」とも呼ばれています。

塔頭「黄梅院」の直中庭は千利休が作庭したと言われています。ひょうたん池など、見所満載な庭になっており、自害の理由になったと言われる木像の写真も見れます。

生誕500年 千利休をめぐる京の旅
(画像=『たびこふれ』より引用)

<黄梅院>