「日本一になって早くこの世界から足を洗いたいと思っていたのです」
須藤 こんな大きな大会に出られるとは思っていなかったので、うれしくて仕方なかったですね。それで名前を呼ばれてステージに立ったら、「来年がんばれ!」とヤジが飛んだんです。これは今でも忘れられません(笑)。確かに出られるだけでもラッキーだとは思っていましたけど、さあこれか
らポーズを取るぞと思った瞬間に「来年がんばれ!」ですから、ガクっと力が抜けましたね(笑)。
案の定予選落ちでしたが、日本選手権に出たというだけでやる気に火がつきました。その後の1年間というのは自分の体が一番変化した期間でした。翌年は日本選手権5位に入りました。
IM 1年間ですごく伸びたわけですね。翌年は5つの大会に出られたとお聞きしましたが。
須藤 順位でいうと’71年の日本選手権が5位で最低順位なんです。次に東海大会(当時は中部日本大会)が4位、三重県大会が3位、別の団体の東海大会が2位、実業団が1位だったんです。同じ年できれいに5、4、3、2、1が並んでいるでしょ(笑)。
IM 日本選手権の成績も順調に5位(’71年)、4位(’72年)、2位(’73年)、1位(’74年)と成績を上げていますね。
須藤 自分の中では予選落ちから5位になったときは体が変わったなと思ったのですが、その後はあまり変わったという実感はないんですけどね。最初はグーンと伸びるのは当たり前として、その後は誰でもなかなか伸びないんです。そこで体が変わらないからやる気がなくなるというのではなく、少しでも良くなっていれば上等だという意識で毎年やっていました。例えば腕を計ったら全然太くなってないのに、ある角度から見たら太く見えるとか、何か一つでも納得できることがあったら御の字だと思っていましたね。
順位的にも、普通、前の年に5位だったら今年は一気に優勝を目指すとなるのでしょうが、私の場合は前年度の順位を死守することを意識していましたね。慎重な性格ですから(笑)。
コンテストは前の年に優勝した人が出る場合もあるし、出ない場合もあります。その年によってレベルに違いがあるので、順位というのは結局、運でしかないんです。大会前に良い結果を出したいという気持ちはありますが、出た結果についてはこだわりがないんです。
つまり、自分がレベルアップしていて、最低限同じ順位だったらよしとする、という考えでいました。でも実際の結果はその上をいっていますから、その考え方で間違いはなかったと思います。
IM 5度目の挑戦で日本選手権に優勝されたときの感想は?
須藤 前年が2位で、そのとき優勝した宇戸信一さんが出ていなくて、むしろ勝って当たり前だと思っていました。もっとも当時の日本選手権は一度優勝した選手は出ないという雰囲気がありましたし、宇戸さんがいないのだから次は自分だろうなと思っていました。
しかし、そうはいっても大会が終わって家に帰ったら涙がボロボロ出てきましてね(笑)。ミスター日本優勝というのは当時の私にとって最終目標でしたから。
IM そのときはミスターユニバースへの関心はあまりなかったのですか?
須藤 ミスターユニバースでは海外の選手がみんなステロイドを使っているという話を聞いていたので、そんなところで順位もなにもないだろうと思っていました。実をいうと、日本一になって早くこの世界から足を洗いたいと思っていたのです。
「何かでカバーしなければいけないという思いで脚と腹筋を鍛えまくりました」
IM それは意外でした。てっきり次はユニバースだ、と意欲十分で世界に照準を向けたと思っていました。
須藤 結局ボディビルの勝敗は運なんです。年5回試合に出たときに、毎回同じ選手が出ていても順位はばらばら。自分に勝った人が次の試合では予選落ちして、自分は3位に入ったり。その逆もありました。柔道みたいにスパーンと投げられて負けたら納得がいきますが、ボディビルはそうはいきません。ああ、これは我慢の競技だなと。ミスター日本をとって、これでようやく辞められると区切りがついたんです。
IM それがユニバース出場へ気持ちが切り替わったのはなぜでしょうか?
須藤 やはり日本一になったからには一度は世界大会に出場してみたいと思ったんです。チャレンジではなくて、ただ出るだけ。それで十分だと思いました。
IM それで優勝してしまったのがすごいですね。
須藤 出るだけとは思っていましたが、仮にも日本代表として連盟に派遣してもらっている以上、悔いのない戦いをしたかったのです。それで精一杯トレーニングしていたら、本番1カ月前に肩を壊してしまったんです。そこで肩がダメなら他の部分にそのエネルギーを回してトータルで良くなればいいと考えました。
IM 肩のトレーニングができない分、その他をより鍛えたということでしょうか?
須藤 腹と脚ですね。何かでカバーしなければいけないという思いで脚と腹筋を鍛えまくりました。実際ユニバースのときは肩がダメなせいで大胸筋のボリュームは落ちていたのですが、トータルではむしろよかったと思っています。
IM まさにケガの功名ですね。
須藤 考えてみれば人生はすべてそうだと思うんです。考え方の視点をちょっとズラすだけ。なんでも良い方向に考える。例えば雨がふれば、ぬれるから嫌だ、と思うのではなく、雨音を聞きながら歩いたら風流だなと思うとかね。ウチの姉は「あんたの話していることはお坊さんのようだわ」とよく言われますよ(笑)。
IM 2度目の世界大会では総合優勝を目標に取り組んだのですね。
須藤 ’75年は総合2位だったので、次は1位だぞと。ボディビルから足を洗う気持ちは吹っ飛んでしまいました(笑)。
IM 総合1位を目指して何かを変えたことはあったのですか?
須藤 基本的にそれまでやってきたことに間違いはないという自信はありました。そのためには今までより集中して、もっと量をやらなければいけない。質を上げたつもりで量が同じだったら、意味がありません。だから質も量も上げてトレーニングしましたね。
IM 質を上げるというのは、技術的な部分も含めてでしょうか?
須藤 それはあまりなかったですね。簡単に言うと、より気持ちを込めて、多くやるということです。結果的には総合優勝は杉田茂さんで、私は前回と同じクラス別優勝、総合2位でした。プレジャッジが終わった後に杉田さんとデール・エドリアンと私で話していて、彼らが「総合優勝はお前だ」と言うんです。プレジャッジの流れもそういう雰囲気を感じていたので、うれしくてホテルに帰って夜も寝られないくらい興奮して、そして翌日の発表の時に1位とコールされたときは、本当に立っているのがやっとでした。目の前が真っ白になりました。その直前まで「優勝、須藤孝三」と言われると思っていましたから「捕らぬ狸の皮算用」とはこのことだなと(笑)。