目次
<7. 安井金比羅宮の年中行事>
<8. 安井金比羅宮の絵馬・お守り・御朱印>

<7. 安井金比羅宮の年中行事>

【京都】安井金比羅宮で悪縁を切れる? 神職の方に直接お話を聞いてみました
(画像=<写真提供:安井金比羅宮>、『たびこふれ』より 引用)

一年の年中行事のなかで一番重要な行事は秋季金比羅大祭です。

祭りは10月1日の御斎竹神事(おいみたけしんじ)から始まり、クライマックスは体育の日の前日の神幸祭です。

※「体育の日」は令和2年1月1日付で「スポーツの日」に名称が変更されております。また、例年は以前と同様10月第2月曜日ですが、本年令和3年に限りオリンピック開催により7月23日がスポーツの日になります。

クライマックスは体育の日の前日の神幸祭です。

まず、雅楽が鳴り響くなか、御本殿の扉を開き、宮司が祝詞を奏上します。

そのあとでご祭神がお乗りになった御鳳輦(ごほうれん)と宝船の形の花車が町内を練り歩き、今も昔も変わらない秋まつりの風景がみられます。

御鳳輦というのは、「屋根に鳳凰の飾りのある天子の車」です。

神幸祭の2日前に、大神様が御本殿よりお出になり、御鳳輦にお移りになります。

それから神幸祭までの間、御鳳輦は本殿の前にお飾りされます。

大神様が参拝者の前にお出ましになるのは年に一度、この秋季金比羅例祭の時だけです。 大神様のご神威を感じ、ご神徳をいただいてみてはいかがでしょうか。

そのほかには、毎月1日と10日に行われる月次祭(つきなみさい)もあります。

<8. 安井金比羅宮の絵馬・お守り・御朱印>

安井金比羅宮の絵馬・お守り・御朱印を紹介します。

8.1 絵馬

【京都】安井金比羅宮で悪縁を切れる? 神職の方に直接お話を聞いてみました
(画像=『たびこふれ』より 引用)

安井金比羅宮のオリジナル絵馬は、藻を刈る絵が描かれたこちらの「もうかり絵馬」。

「藻を刈る」と「儲かる」の語呂合わせで、ご利益はもちろん「儲かる」です。

絵馬をよく見ると、雨が降っています。

つまり、「(お金が)降るほどもうかる」ということです。

また、絵馬には画家の名前が「一芳」と書いてあります。

その心は、「もうかるいっぽう」ということです。

ぜひ浪費癖を断ち、お金が降るほど儲かるように祈願してみてください。

8.2 お守り

【京都】安井金比羅宮で悪縁を切れる? 神職の方に直接お話を聞いてみました
(画像=『たびこふれ』より 引用)

安井金比羅宮でおすすめのお守りは、「心機一転守」です。

今までやってきた仕事をやめて転職する人、進学する人におすすめです。

新しいことを始めるときや、今までとは違う道に進むときには不安がつきものです。

そんな時、神様が見守ってくださると思うと、心強い気がしませんか?

【京都】安井金比羅宮で悪縁を切れる? 神職の方に直接お話を聞いてみました
(画像=『たびこふれ』より 引用)

また、縁切りと縁結びがセットになったお守りも人気です。

縁切りと縁結びは、ふたつでひとつ。そんなことを折にふれて思い出すことができるお守りとなるかもしれませんね。

また、京都に海はないのですが、香川県の金刀比羅宮の神様をお祀りしているため、水難除けのお守りもあります。

ちなみにいずれのお守りも家に置いておくのではなく、カバンやポーチ、財布などよく持ち歩くものに着けて、身近にお持ちいただくものです。

8.3 御朱印

【京都】安井金比羅宮で悪縁を切れる? 神職の方に直接お話を聞いてみました
(画像=『たびこふれ』より 引用)

御朱印はこちら。初穂料300円。

右上に金比羅宮の「金」と書いた宝船の判子が押してあります。

神社の御朱印で宝船が描かれているのはとてもめずらしいことです。

また、オリジナルの御朱印帳には安井金比羅宮ならではの藤の絵が描かれているものもあります。

8.4 おみくじ

神社参拝にはつきもののおみくじ。

【京都】安井金比羅宮で悪縁を切れる? 神職の方に直接お話を聞いてみました
(画像=『たびこふれ』より 引用)

安井金比羅宮にはおみくじが2種類あります。黒いほうが普通の紙のおみくじです。白いほうが自分の持っている悪縁度がわかる「縁みくじ」です。

筆者は「縁みくじ」をひきました。

【京都】安井金比羅宮で悪縁を切れる? 神職の方に直接お話を聞いてみました
(画像=『たびこふれ』より 引用)

色鮮やかでとても美しいおみくじです。手帳にそっと忍ばせたくなります。

結果は「中吉」。悪縁度は25%でした。

8.5 授与所

【京都】安井金比羅宮で悪縁を切れる? 神職の方に直接お話を聞いてみました
(画像=『たびこふれ』より 引用)

絵馬、おみくじ、御朱印、すべてこちらの授与所で受け付けています。

しかし、お守りばかりに頼ってはいけません。

人が『こういうふうになりたい』『こうしたい』と、願って努力するからこそ、神様は助けてくださるのであって、人が何も努力しないのに、助けてくれることはありません。

人の努力と神への祈りは自転車の両輪のようなもので、どちらも必要なものですと神職さんが教えてくださいました。