京都の中心部、祇園のほど近くにある安井金比羅宮。この神社は「縁切り神社」として有名で日本全国から人間関係の悩みを抱えた人が訪れます。
でも、神社にお願いすれば、本当に縁は切れるのでしょうか? 本当にそういったご利益があるのでしょうか?
もしあるとすれば、参拝方法はどういったものなのでしょうか?
夫婦やカップルで訪れると別れてしまうなんてことはあるのでしょうか?
いろいろな疑問の答えと神社の見どころを、神職さんに直接取材しました。
目次
<1. 安井金比羅宮のご由緒・ご祭神・御利益>
<2. 安井金比羅宮へのアクセス>
<1. 安井金比羅宮のご由緒・ご祭神・御利益>
まずは、安井金比羅宮のご由緒・ご祭神・御利益について解説します。
1.1 ご祭神

本殿の真ん中に祀られているのは主祭神の崇徳天皇です。崇徳天皇は平安時代末期の1123年に即位した第75代の天皇です。
和歌の名手でもあり、御歌「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢わんとぞ思う」は小倉百人一首77番に選ばれています。
「川の流れが激しく岩にぶつかって流れが二つに割れても、あとで一緒になれるようにいつか愛しいあなたに会いたい」と詠んだこの歌は、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
1156年、摂関家の内紛や皇位継承問題が起こり、上皇となった崇徳上皇はその異母弟である後白河天皇と敵対して、戦わざるを得なくなります。
世にいう保元の乱です。
戦いの末、崇徳上皇は敗北、讃岐国へ配流となります。讃岐国で崇徳上皇は仏教を深く信仰し、戦ったことを深く反省します。
また、保元の乱で戦没した者たちを供養するため一心に写経をしたと伝えられています。
そして、その写経をまとめ、写本にして京の後白河上皇に送ったのですが、「呪いが込められているのでは?」と疑われ拒否されてしまいます。
そのことを嘆き悲しんだ崇徳上皇は怨霊になってしまったという伝説もあるようです。
そんな崇徳上皇は、先ほどもお伝えした通り、金比羅宮の本殿に、主祭神として祀られているのですが、その右側には大物主神(おおものぬしのかみ)も祀られています。
また、左側には源頼政(みなもとのよりまさ)公が祀られています。
源頼政は実在の人物で、武術に秀でた方でした。「鵺(ぬえ)退治」で有名です。
「鵺」とは、鵺(ぬえ)という、猿の顔、狸の胴体、虎の手足、蛇の尻尾を持つ恐ろしい妖怪です。
1.2 ご由緒

安井金比羅宮の境内にある藤の木。
天智天皇の時代に藤原鎌足は、現在、安井金比羅宮がある辺りに自ら藤を植え、家門の隆昌と子孫の長久を祈ったといわれ、平安時代末期、崇徳天皇はこの辺りの藤がお好きで、ご寵愛の阿波内侍(あわのないし)をこの地に住まわせたと伝わっています。
そして、阿波内侍は、崇徳天皇が悲劇的な最期を遂げた後も、この地で崇徳天皇のご冥福を祈り続けました。
その祈り続けた場所がこの安井金比羅宮の起源とされています。
1.3 ご神徳

崇徳上皇は讃岐に配流されている間、一切の欲を断って金刀比羅宮にお籠りされたことから、安井金比羅宮は悪縁を断ち良縁を結ぶ神様と呼ばれています。
それは何も人と人との縁だけに限りません。
自分の中にある病気や怠惰心、欲望や執着心も悪縁です。
自分の中にあるそのような気持ちを断ち切りたいという方はぜひ神様にお力をお貸しくださるようお願いしてみてはどうでしょうか?
そうすれば、自分の中によい気持ちが生まれ、運も開けてくるかもしれません。
また、大物主神(おおものぬしのかみ)は道開きの神様と言われ信仰されています。ゆえに、交通安全のご神徳があります。
また、香川県にある金刀比羅宮は海上交通の神様でもあるので、船でどこかへ出かける人やマリンスポーツを楽しまれる方が参拝に訪れることも多いそうです。
<2. 安井金比羅宮へのアクセス>

安井金比羅宮へのアクセス方法について説明します。
JR京都駅からは、市バス206系統北大路バスターミナル行きに乗ってバス停・東山安井で下車し、徒歩ですぐ着きます。
京阪電車祇園四条駅からは徒歩11分。駅から地上に出たら、八坂神社の方へ向かって東に歩き、八坂神社の前の東大路通を右へ進むと左にあります。
阪急電車京都河原町駅からも徒歩約11分です。