第三の疑問
社会主義革命後の「国家管理社会主義」と「自主管理社会主義」の問題。
レーニン著「国家と革命」(「レーニン全集25巻」)の「労働者の選挙で選ばれた労働者の代表」には国有企業の経営管理能力がないため、実際は党官僚やノーメンクラツーラが全面的に生産手段を支配・管理する問題の是非(ボスレンスキー著「ノーメンクラツーラ」)。これは「国家管理社会主義」と言えよう。
しかし、これと異なるユーゴの「労働者自主管理社会主義」も、労働者が分配を重視したため資本蓄積ができず、技術革新が遅れた。また、中央集権でないため国家の統制が効かずインフレを招いた(小山洋司他著「ユーゴ社会主義の実像」)。したがって、「ユーゴ自主管理社会主義」の評価は必ずしも成功とは言えず、功罪相半ばと言えよう。
その意味では、マルクスが理想社会とする「アソシエーション」(「労働者の自発的な相互扶助」)にも重大な問題点があり、「国家死滅論」の正当性の問題にも波及し、プロ独の永続化を正当化する可能性がある。
「未来社会論」はマルクス主義の真価を左右する重要課題であり再検討と究明を要するのではないか。
「日本マルクス主義」はこの疑問にどう答えるのか。
第四の疑問
マルクス著「資本論」の「窮乏化法則」と日本共産党「先進国革命論」の理論的実践的な正当性の問題。
欧米・日本の先進資本主義諸国における「資本主義が発展すればするほど労働者階級は窮乏化する」とのマルクス著「資本論」の核心である「窮乏化法則」の妥当性の問題。
格差・貧困の問題は克服されていないとはいえ、労働者階級を含む国民全体が絶対的に窮乏化しつつあるかは精査の必要があるのではないか。
労働運動や社会主義政党の活動の成果として、最低賃金制・失業保険など各種社会保険・年金・医療・介護・労働基準法など労働者保護立法を含め、社会保障制度が整備され(「福祉国家」)、マイホーム・マイカー・海外旅行など、今や労働者階級が「鉄鎖のほかに失うものはない」(マルクス・エンゲルス著「共産党宣言」)状態とはもはや言えないのではないか。
蔵原惟人元日本共産党名誉幹部会委員も労働者階級の絶対的窮乏化を否定している(蔵原惟人著「蔵原惟人評論集9巻」187頁)。
そうすると、日本共産党の「先進国革命論」は、労働者階級の絶対的窮乏化を前提とする限り不可能となるのではないか(2020年5月4日掲載「破綻した日本共産党の先進国革命路線」参照)。
「日本マルクス主義」はこの疑問にどう答えるのか。