2015年の難民殺到時、当方はウィーン西駅に到着した難民たちの状況を取材したが、ポーランドに見られるような状況は余り目にしなかった。2015年と2022年の難民殺到に対する欧州国民の迎え方が明らかに違うのだ。

その違いはどこからくるのか。考えられる理由としては、①15年時の難民は主に中東、北アフリカ出身だが、ウクライナ人は同じ欧州の国民、②15年の難民の多くはイスラム教徒だが、ウクライナ人は主に正教徒キリスト教文化に属する、といった点だ。地理的、民族的、宗教的な親密度の違いがあることは事実だ。

欧州のメディアで「ウクライナで働いていたアフリカ人がウクライナ人と共にポーランドに逃げたが、彼らに対する扱いはひどかった」というニュースが流れた。その時、ポーランド側は「それはフェイクニュースだ」と即否定した。ポーランド側はそのニュースが広がることを恐れ、神経質となっていることが分かった。

スロバキアの国境に逃げてきたウクライナ人家族がテレビで映っていた。妻と子供を下ろすと、運転してきた男性は涙を流しながら別れを告げた。男性は、「自分はウクライナを守るために国に戻る」と言っていた。ゼレンスキー大統領は、「18歳から60歳までの男性は残って国を守るために戦ってほしい」と述べていた。男性は妻と子供を安全な地に運んだ後、すぐに国に戻ってロシア軍と戦うというのだ。