5. お金を追いすぎること
SNSなどでは、景気の良い話があちこちで展開されている。特に昨年年末までの投資界隈では「ヒトケタ億円到達!」というくらいでは「投資家としてはまだジュニア級」というイメージで「資産は10億円を超えてからがスタートライン」のような雰囲気すら感じることもあった。
だが、お金を追いすぎると不幸の始まりだ。なんせ、お金は数値化でき、これほどまでにわかりやすく比較が起きやすいファクターはないからだ。また、お金はどれだけあっても保管場所に困らない、という機能性からも追求することをやめられない人は少なくない。
しかし、あの世にはお金は持っていけない。よほどお金の使い方が上手なビジネスマンを除き、ほとんどの人にとっては余剰資産があっても、日常的に使える金額は限られる。そもそも、高額なお金は使うのに時間がかかる…たとえば高級レストランで食事をするには移動や正装、食事のサーブなどを含めるとお金だけでなく時間がかかってしまうし、そもそも贅沢が日常になれば必ず飽きる(限界効用逓減の法則)という機能性を人は有している。
筆者は死ぬ前に「たくさんお金があって良い人生だった」と思うよりも、「たくさんの経験や愛情に包まれて良い人生だった」と思いたい。だからお金より愛を優先させたいと思っている(そう言えるのは、ある程度経済的不安から開放されている強者の論理だと反論がありそうだが…)。チャップリンは「愛と勇気とサムマネー」という言葉を残した。これはお金についての本質を突いている。確かに豊かに生きる上でお金は必要だが、some money(必要なだけ)で良いと思うのである。間違ってもお金を追う代わりに、時間や人生の幸福の多くを差し出すことがあってはならないと思うのだ。
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やめてよかった習慣は他にもいくつかあるが、この5つに比べればどれも些末なものだと思う。
文・黒坂岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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