3. 愛するより愛されたい

勝手な想像だが、愛するより愛されることを目指す人の割合は半数以上いるのではないだろうか。そうありたい気持ちは分からなくもない。誰かから愛されれば、「自分は必要とされている」という自己愛が満たされ、不安から開放されるだろう。

だが、愛されたい意欲が高すぎると不幸になる。なぜなら人の価値観はあまりにも多様であり、多くの場合は自分には無関心だから。また、一部の人からは必ず嫌われてしまう。また、最大公約数的な愛されキャラを目指しすぎると、カドが取れて自分自身のテイストが出しづらくなり、これが生きづらさを生み出す。さらに、相手から愛される受け身の姿勢でいることは、自分ではどうにも出来ないことも多く、それはとても歯がゆい感覚になる。

今では、愛する方が幸福度が高くなると感じるようになった。愛したい対象を見つけ、愛を注ぎ、信頼関係という実を成就する過程はとても心地よい。そうすることで、愛する相手から今度は愛されるという返報が得られることもある。この逆は難しいからこそ、自分は愛する立場を選びたい。

4. 他人との比較

人生で瞬間的に不幸になる方法は、他人と比較することである。そしていかなる分野においても、世界には自分より優れた人物や結果は存在している以上、これをやり始めると永遠に幸福にはたどり着くことができなくなる。よしんば、現時点で世界最高の記録を持っていても、いつかは後世世代に抜かれてしまう。

もちろん、優れた力量やスキル、意見などを目の当たりにすれば素直にすごいなと尊敬の念が生まれるし、そこから自身を高めるための着想を得たいと思うことはある。だが、自分との比較は絶対にやらない。自分が幸福になる上で、他者比較はまったく必要ないからだ。

たとえば自分が無人島に暮らしていれば、今日魚が何匹取れた?どのくらい効率的に漁が出来た?ということは一切気にならないはずだ。なぜなら無人島には、比較の対象が存在しないからである。だが、取れた魚がおいしければ満足するだろう。つまり相対的な幸福に対して、絶対的な幸福を追求する方が人生は良くなると思うからだ。