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アポロ計画のトイレ騒動
トイレの発展~ジェミニ計画から国際宇宙ステーションまで~
世界には衛生状態の良くないトイレを使用している人口が約20億人いると言われています。世界が抱えるトイレの課題は、国連の開発目標などでも必ず挙がるテーマの一つです。例えば、マイクロソフト創業で巨万の富を築いたビル・ゲイツ氏によって設立された世界最大の慈善基金団体ビル&メリンダ・ゲイツ財団では、下水施設に頼らないトイレの開発に力を入れています。当たり前に温水洗浄便座トイレの恩恵を受けている私たち日本人ですが、それは世界では「贅沢」の象徴でもあります。

Credit : United Nations、『宙畑』より引用)
読者のみなさまも、今まで数多くのトイレトラブルに遭遇しているのではないでしょうか。「汚い」から連想すると、便器の汚物付着、流し忘れ、屋外の清掃が行き届いていないトイレ。「困った」と言えば、トイレットペーパーがないトイレ、鍵が閉まらないトイレ、詰まりによるトイレの逆流、行列のできたトイレ、和式トイレで困る外国人観光客など。
果たして、宇宙ではトイレをめぐりどんなドラマが生まれてきたのでしょうか。材料力学、生理学、心理学などを総動員して考えるトイレの設計から何が見えるのでしょうか。地球とは異なり、宇宙には下水道や下水処理場がありません。水1リットルは1キログラムに相当します。宇宙では水はとても貴重な資源です。臭いものには蓋をせず、あえて今回は蓋を開け、宇宙のトイレの謎に迫りたいと思います。

Credit : gatesnotes、『宙畑』より引用)
(注意!)お食事前にこの記事を読もうとされている方は、ぜひこのあたりでいったん読むのを止めていただければと思います。
アポロ計画のトイレ騒動
1961年5月5日、アラン・シェパード宇宙飛行士がアメリカ初の有人宇宙飛行に成功した際、発射台で排泄機能がない宇宙服のなかで用を足したことが宇宙開発における排泄問題の発端でした。その後に続くジェミニ計画では、ジェミニ7号で排泄物を格納している袋が2週間の地球周回ミッションの半ばで破裂してしまいました。「野外便所に、2週間閉じ込められているようだった」とジェームズ・ラベル宇宙飛行士は振り返ります。
アポロ計画では、幅が約20センチメートルで、輪の形をした口に接着剤がついた大便回収袋を使用していました。薬品を入れないと大腸菌が便を分解してガスを発生させ袋を破裂させてしまうため、使用後はバクテリアを殺すための錠剤を投入し、良く揉む必要がありました。「仲間が真の仲間であるかどうかは、相手が自分の袋を揉んでくれたかで判断できた」と、ある宇宙飛行士は冗談を飛ばします。当時、服を脱ぐ工程も含め、トイレは約45分掛かりました。(*1)

Credit : NASA、『宙畑』より引用)
その他にも、アポロ計画にはこんな逸話があります。
【アポロ8号】
おそらく宇宙ではじめて下痢に対処したのは、アポロ8号のフランク・ボーマン宇宙飛行士でした。身体を宇宙環境に適応させる過程で、体調不良に陥ってしまいました。液状化した便だと通常の袋では対処しきれないため、ジェミニ計画から下痢止め薬が用意されていましたが、ボーマン宇宙飛行士は服用するタイミングを逸してしまいました。結局、無重力下の船内は分離した下痢と嘔吐物まみれになってしまい、仲間がペーパータオルを使って極力船内を清掃しなければならなかったようです。昔はミッションから降ろされたくなかったため、宇宙飛行士は体調不良や身体の不調を極力隠そうとしていました。宇宙飛行士たちの身体的、精神的な強さと弱さが伝わってくるエピソードですね。
【アポロ9号】
アポロ計画では、宇宙船を傷つける可能性があるので、大便回収袋を船外に廃棄することはありませんでしたが、尿は宇宙空間に捨てていました。尿を船外に放出すると瞬時に凍り、幾千の氷の結晶を生成します。その結晶が太陽の光に当たると、キラキラと輝きます。アポロ9号のラッセル・シュウェイカート宇宙飛行士は、太陽が沈む日没時、尿を司令船外に捨てた時の光景が軌道上で一番美しい景色だったと回想しています。
【アポロ10号】
アポロ10号では機密情報公開と共に、意外なサプライズも出てきました。アポロ計画から44年後に公開された交信記録では、宇宙船内を浮遊する「塊(turd)」について、ミッションコマンダーのトーマス・スタフォード宇宙飛行士、月着陸船パイロットのジーン・サーナン宇宙飛行士、司令船パイロットのジョン・ヤング宇宙飛行士が「誰のだ?」と会話を交わしています。ミッションの6日目に起きた騒動をみてみましょう。

Credit : NASA、『宙畑』より引用)
交信記録 p.414
スタフォード:「あ…誰だ?」
ヤング:「誰だって、なにが?」
サーナン:「あれはどこから来たんだ?」
スタフォード:「紙を早く取ってきてくれ。塊が浮いてるんだ。」
ヤング:「俺じゃないよ。俺のやつじゃないよ。」
サーナン:「俺のでもないと思う。」
スタフォード:「俺のはもっとベトついていた。捨てろよ。」
(3人笑い)
そして、10分後に再び会話が交わされます。
交信記録 p.419
サーナン:「なあ、また塊が浮いてるぞ。おい、お前らきちんと始末してるのか?ほら、渡してくれ…」
(ヤングとスタフォードの笑い)
スタフォード:「ただ浮いてただけ?」
サーナン:「ああ」
スタフォード:(笑い)「俺のはもっとベトついてた。」
ヤング:「俺のもだ。それにちゃんと袋に…」
サーナン:「あれが誰のか分からないな。俺のだと主張することも、否定することもできないよ」(笑い)
ヤング:「一体なにが起こってるんだよ」
トイレの発展~ジェミニ計画から国際宇宙ステーションまで~
それぞれの有人宇宙計画では、宇宙での滞在日数が異なります。宇宙のトイレがミッションの日数に応じて、どのように発展してきたかを追ってみたいと思います。

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)
地球周回軌道で宇宙実験を行ったスカイラブ計画では、宇宙で初めて男女共用個室トイレが登場しました。トイレの座席はプラスチック材で覆われ、身体が浮かないようにシートベルトなども取り付けられていました。排泄物は空気で吸引されます。この、お尻に当たる空気が冷たいのだとか…!尿の回収にはロート型器具が使われ、固形排泄物は袋に回収され、加熱・真空室で乾燥されました。尿は少量を冷凍保存し、固形排泄物は乾燥後すべて保存され、医学分析のため地球へ持ち帰られました。(*3)

Credit : 2007 SAE International、『宙畑』より引用)
そして、スカイラブ計画から改良されたスペースシャトルのトイレでは、身体からわずか数十センチメートル下で、1分あたり1200回転を誇るフードプロセッサーで使われるようなブレードが装備されました。排泄物をトイレットペーパーと一緒にどろどろのパルプ状にして汚水タンクの壁に投げつける仕組みでした。
50回にも及ぶスペースシャトルのミッションでは、数多くのトイレ問題が発生したことが報告されています。例えば、宇宙空間の低温と低湿度にさらされた時、凍った糞便が粘性を失い、ブレードに叩かれて塵になり、宇宙船のキャビンに広がってしまったこともあるそうです。(*1)これは「ポップコーン現象」と呼ばれました。

Credit : sorabatake、『宙畑』より引用)
国際宇宙ステーションには現在、ロシアモジュールに1台、米国モジュールに1台、合計2台のトイレが設置されています。どちらのトイレもロシア製で、米国はロシアから約1900万ドルでトイレを購入しています。(*4)尿や便は漏れない容器に入れて、他のゴミと一緒に無人輸送用船に積まれ、大気圏再突入時に燃焼処分されています。国際宇宙ステーションの常時最大収容人数は6人ですが、最大13人が一堂に会したこともあります。今まで宇宙では、トイレの争奪戦が繰り広げられたことがあるのかもしれませんね。いや、きっと宇宙飛行士のみなさんはマナーをもってトイレを譲り合っていることでしょう。
トイレの設計のみならず、宇宙では排泄についても工夫しています。例えば、排便回数を最小限にするため、薬を服用することも今までありました。また、尿意や便意の感じ方が地球上とは違うため、宇宙飛行士はある程度時間が経過したら排泄するように指示もされているようです。