(3)日本と海外におけるSFに対する考えの違い
宙畑
日本人と外国人を比較すると、外国人の方がSFに影響を受けて物事を始めているような気がしますが、SFの読み方や視点が異なるのでしょうか。
宮本
小説に荒唐無稽だったり現実と違う部分があるとき、海外には、そのギャップを埋めようとする人たちが多いように感じます。「荒唐無稽だよね」で終わってしまうと、どうしようもないのです。
宇宙開発にしても同じところはあるでしょうね。妄想的なビジョンがあると言ったときに、「無駄に終わりそうだからそんなにお金をかけられない」と耳を塞いでしまうのではなく、「失敗してもいいから、まだ完成していない科学技術まで含めて、無理矢理にでもロードマップを書いて進めていってしまおう」と考えたほうが良いケースもあるわけですが、日本は比較的堅実で短期的成果が出やすいほうを選びがちな気はします。
宙畑
その違いは先天的なものではないと思うのですが、日本人を堅実にしてしまう原因があるのでしょうか。日本人は『ドラえもん』などといったSFに慣れ親しんでいるにもかかわらず、どこで変わってしまうのでしょう。
宮本
子ども向けコンテンツだとレッテルを貼って終わりにしてしまっているからではないでしょうか。例えば、就活や合コンのような「真人間のフリ」を求められる場で「『ドラえもん』を毎週見るのが趣味です」と堂々と話す人がいたらどういう空気になるか、みたいなことを想像してみて下さい。その空気感こそが日本の弱さです。
ちなみに、僕は『アンパンマン』をよく見ています。ブッ飛んだキャラクターがブッ飛んだストーリーを繰り広げるので、とても刺激を受けます。特に僕の所属する研究室は「ヒューマン・エージェント・インタラクション」という、ロボットやアバターなど「人っぽいもの」と人間との相互作用を専門にしているところなのですが、『アンパンマン』には、そういった「人っぽいもの」がたくさん登場します。
僕はこういった職業上の理由からアンパンマン好きを公言しているわけですが、単なる趣味でアンパンマンを見ている大人も多いはずです。子供向けだろうが大人向けだろうが、それが一個の「作品」であれば、世代を超えて真面目に議論することで得られるものはあるでしょう。
子ども向け/大人向けコンテンツを分けるのは、子供さんに見せる作品を選ぶ上では便利なカテゴライズですが、子供向けコンテンツを大人が見るのはおかしいという考えるメリットはありません。
日本では、漫画やアニメ、そしてSFを子ども向けだと雑に捉えている節がいまだにあります。これが日本人の思考を阻害しているポイントの一つです。このような固定観念を持つ人が多いからこそ、斜め上のビジョンを出したときに、「いや、それはちょっと無いよ」と馬鹿にされてしまうのではないでしょうか。
海外には、妄想を語って楽しみ、妄想に投資する人がたくさんいる。日本人は妄想を語ることが得意ではない。世界的に見て、日本が伸び悩む現象が起きているのは、そういった部分があるからだと思います。ちなみに、ここまで話したことはあくまで単なる僕の主観でしかないですし、そもそも「日本人はこうだ」というような話自体あまり好きでもないので、「そういう考えもあるんだ」程度に思って頂ければという感じではありますが。
(4)海外でもSFが子どもコンテンツだと思われていた時代があった
宮本
とはいえ、少し前までは海外でもある程度、SFは子ども向け・オタク向けと考えられていたと思います。高校生くらいまではハマっていたけれど、大人になったら好きだと公言しなくなる人も多かったはずです。
しかし、ジェフ・ベゾスをはじめとするトップ企業の成功者が、子どもの頃からSFを愛読していて、大人になっても変わらずに読んでいると公言したこともあり、今は大人がSFを読むことも一般的になりつつあるイメージがあります。
最近だと、『三体』が大ヒットしましたが、あれは宇宙人SFです。宇宙人が出てくる荒唐無稽な内容といったらそれまでですが、宇宙人の存在があるからこそ人類が相対化して見えますし、基礎科学の重要性や宇宙開発の覇権を中国が握ったらどうなるのかといったことが見えてくる。
バラク・オバマ元大統領が『三体』の作者である劉慈欣に「続きを読ませてほしい」と発売前に連絡したのは有名な話です。良い大人が権力を使って何をやっているのだと呆れてしまうような面白いエピソードですが、『三体』にはそれくらいの魅力があるし、オバマも私人としてだけでなく公人として『三体』と向き合っていた部分もあると思います。