こんにちは。
今日は、コロナ騒動のずっと前から、低迷が続いていたアメリカ小売業、とくに「レンガとしっくい造り(Brick and Mortar)」と呼ばれる実売店舗網を経営している業者の苦境について書きます。
ちょっと長い文章に、かなり写真も豊富に使った記事になるので、今日と明日の2回に分けて投稿させていただくことをご諒承いただければと思います。
巨大モール運営主体の手元現預金がたった820ドル?!
2月5日付の『ゼロ・ヘッジ』への投稿によれば、ニューヨーク市にほど近い場所で2019年に開業したばかりの、賃貸総面積で言えば全米1~2位を争うアメリカン・ドリーム・モールの資金繰りが極度に逼迫しているようです。
どのくらい逼迫しているかと言うと、去年の12月から今年の1月にかけて約定どおりの元利返済をした結果、今では手元現預金がなんと820ドル(約9万4000円)――8万2000ドルでも、82万ドルでもなく――に減ってしまったというのです。
もしこういう記事で間違いがあったら、経営不安をあおったとしてとんでもない額の賠償金を要求されるでしょうが、今までのところ運営主体の側から苦情や訴訟を起こすといった反応は出ていないようです。
それどころか、「財務担当者自身が次の元利返済分である2億9000万ドルの財源をどこにもとめたらいいのかわからないと述べた」という文章にさえも、クレームはついていないと思います。

この完成予想図に描かれているとおり、もし賃貸総面積の大部分にテナントがついたとすれば、壮大な消費センターになるはずだったプロジェクトです。
ただ、構想が固まってからも、資金繰りなどで紆余曲折があり、約20年の歳月をかけて2019年に開業した時点では、賃貸面積の約3分の1だけでの、かなりさびしい見切り発車となりました。
大きな理由のひとつが、そもそもかなり大きく債務ギヤリング(自己資本に対する借入金の比率)をかけて出発したプロジェクトだったことです。

ご覧のとおり、自己資金はたった16.5%、債務ギアリングはほぼ正確に5倍というそうとう危険な資金構造です。
なぜ、こんなに自己資本の小さなプロジェクトになってしまったのでしょうか。
やはり全体計画の策定や資金繰りなどで手間取っているうちに、郊外型巨大ショッピングモールの魅力自体がかなり落ちていたのが、最大の要因でしょう。
つまり、投下した金額を全部失うこともあるけれども、儲かったときの配当もどんどん大きくなる自己資本の一端を担って参加しようとする投資家が少なかったということです。
このへん、第二次世界大戦に参戦した当初には大胆に当時の最新鋭兵器航空母艦を駆使して大型戦艦中心の米英海軍を破竹の勢いで追い詰めながら、自分たちの軍事戦術上の大革新の意義を十分理解できずにその後は巨艦巨砲主義にこだわった大日本帝国海軍とも似ています。
開業直後の現地レポートを読むと、アメリカン・ドリーム・モールの現在の苦境は十分予測できていたと思います。
クルマ社会ではかなり不利な立地で駐車場も不足気味
まず立地ですが、アメリカ最大の商圏、ニューヨーク市内からニューアーク空港への幹線道路沿いで、この道路を隔てた向かい側には、ニューヨーク・ジャイアンツ、ニューヨーク・ジェッツというふたつのNFLチームが本拠地としているメットライフ・スタジアムがあります。

一見、絶好の立地のようですが、完全クルマ社会アメリカでは、これが利点ではなくハンデになります。
大きなゲームがあった場合の大渋滞が予想され、「それならアメリカンフットボールの公式戦のある日には行くのをやめようか」ということになりがちだからです。
また、中に入るとまだ正式に開業はせずならし運転をしているのかと思うほど閑散としていたのに、駐車場はもう満杯に近かったというのも、そうとう深刻な問題点です。
どんなに店舗面積を増やしても、駐車場に駐められる自動車の台数分しか集客はできないのが、アメリカで巨大実売店舗を経営するときの鉄則だからです。
また、キャパシティの約3分の1しか入居していない実売店舗も、品揃えが低価格帯の量販型のチェーン中心で、一流ブランドはまったくと言っていいほど入居していないようです。
開業早々潰れるようなモールに出店してしまったら、ブランドのイメージにも傷がつくことを懸念しているのでしょう。
飲食店のほうも、あちこちから自由に選んで買えるフードコートへの出店は進んでいます。まあ、そもそも3分の1開業なので食べている客がほとんど見当たらず寒々とした感じなのは、否定できませんが。

もっと問題なのが、設備機器やインテリアは揃えたけれども、まだ開業は控えている高級店と言われる個店の顔ぶれが、あまり高級でもなさそうなことです。

どう見ても、高級イタリアンというよりは、やはりテイクアウトのほうに比重のかかった店構えです。シェフのマーク・マーフィーはテレビの料理コンテスト番組で長年審判を務めていたそうですが。