「インターネットでお金を稼ぐ=悪」だった時代を生き抜く
少年B:
そうやって自分のサイトをどんどんどうやって充実させていった平沼さんですが、廃道探索で食べていけるようになったのはなぜですか?
平沼:
個人的にありがたかったのは、NHKの番組で「廃道探索者」として紹介されて、メディアの方に認知してもらえたことですね。そこから仕事の依頼も徐々に増えて。でも、今も昔も収入はほとんど、サイトの広告に支えられていますね。
少年B:
サイトの広告収入だけで生活費を稼げるのすごいですよね……!
平沼:
でも広告収入は少しずつしか増えないので、しんどい期間も長かったですね……。廃道のために脱サラしてからは短期のアルバイトをしたり、パチスロをしたりして生活費を稼いでました。資金が尽きる前になんとか金を稼がなきゃいけないけど、廃道のこと以外に時間を使いたくないし……という状況でしたね。
少年B:
最初はかなり崖っぷちだったんですね! その後、どうなったんですか?

平沼:
まずは記事執筆の仕事を考えたんですが、コネもないし、出版社に持ち込むような勇気もない。とにかくサイトの記事を充実させることを最優先にしていました。
少年B:
サイトを有料化する、といった方法は考えなかったんですか?
平沼:
当時はインターネットでお金を稼ぐと「何だ、趣味じゃないのか! お金のためにやってるのかよ!」と叩かれるような風潮が強くあったので、そこはあまりお金を意識させないように、無料で誰もが見れるようなサイト運営をしていましたね。
お金のためと思われてしまったら、読者からは色あせて見えてしまうと思ったし、そう見られてしまったら自分もやる気をなくしてしまうと思ったんです。
少年B:
ああ、その空気感わかります。00年代はまだ「好きなことで稼ぐ」ということに拒否感も強かった時代でしたよね。

平沼:
でも、そのころからアフィリエイトなどの広告掲載というマネタイズ方法が出てきたので、本当にありがたかったですね。ただ、最初の収益は月1000円とかで、当然家賃すら払えませんでした。なので仲間たちとPDFの同人誌を作って、ネットで売ったりもしてたんです。最盛期は500冊くらい売れたので、なんとか家賃くらいは稼げるようになりました。
少年B:
いまでもその同人誌は続けているんですか?
平沼:
いえ、もうやめてしまいました。無料で読めるサイトよりクオリティの高いものを書かなければならないというプレッシャーがものすごくて。それでも、購入してくれるお客さんはどうしてもサイトの読者に比べれば、はるかに少ないわけですよ。
自分にとって「特に力を入れて書いたもの」は、やっぱり多くの人に見てもらいたい。その気持ちにどうしても折り合いがつかなくなってしまったので……。
少年B:
「探索したものを発表して、人に見てもらいたい」という気持ちが平沼さんの原動力なんですね。
平沼:
そうですね。なので劇的なことは何もなくて、何とか食べていけるようになったのはサイトの広告収入がだんだん増えていったからだし、メディアの人に気付いていただけたのも、長期間休んだり、他のものに浮気をしないで、20年以上ずっと廃道探索のサイトを更新し続けてきたからだと思っています。

「営業をしない」のは自己防衛
少年B:
営業活動はどうされていますか?
平沼:
やってないんですよ。自分で「超ニッチ」なのを自覚していますから(笑) 「興味を持ってくれる人」はいるので、向こうからお願いされた仕事はもちろん受けます。でも自分から売り込んでも、ニッチすぎてなかなかOKされないと思うんですよ。だから売り込まないのは自己防衛でもあるんです。

少年B:
……? どういうことですか?
平沼:
私は売り込んだ相手から「おもしろくない」「こんなネタいらない」と言われることを極端に恐れているんです。廃道のことしかやりたくないと思っている人間ですから、そう言われてしまったら、自分の存在を全否定されているのと同じなんですよね。
相手から依頼されたのであれば、たとえ最終的に断られたとしても「条件が合わない」などの理由になるはず。私のやっていること自体を否定されることはありませんよね。
少年B:
なるほど……! 最初から興味がなければ近づいて来ないですもんね。では、そんなニッチなオブローダーというお仕事の苦労を教えてください。

平沼:
現地ですごくおもしろいと興奮した道でも、それを文章にする際はやはり生みの苦しみがありますね。通った道の魅力を、余すことなく伝えたいという気持ちがあるので、書くことはとても苦しいです。
かつては廃道探索自体が「趣味」でしたが、今は「人に伝えるためのもの」だと思っているので、記録への責任感は強いです。
少年B:
「人に伝えるため」のこだわりはどんなものがありますか?
平沼:
たとえば、歩くだけならそのまま進めばいいけど、「廃道の途中にある橋を入れて、きれいな写真を撮りたいな」と思うと、近くの斜面を登っていい写真が撮れるスポットを探したり、下に降りて橋の裏側を撮ることもあります。
本来「廃道を踏破するため」には必要のない労力なんですが、それは人に分かりやすく伝えるための苦しみかもしれません。でも、それも含めて私の廃道探索のスタイルだと思っています。今さら変えられないし、変えたくないですね。

平沼:
廃道探索は危険や不快と隣り合わせなので、探索中に妥協したくなることも多いんですが、「このレポートで読者の納得を得られるか」と考えると、びしょ濡れになろうが、蜘蛛の巣だらけだろうが、行くしかありません。「やりたくないからやらない」は避けて「やれないからやらない」まで突き詰めなければ……という、半ば脅迫観念的なものがあります。
でも、実際に妥協してしまうと後悔することが大半なので、これは苦労といえないかもしれません。むしろ、妥協しにくい環境を得られていることは、自身のパフォーマンスを維持するモチベーションの点において有利な部分だと思います。

少年B:
なるほど。伝えるためにやるからこそ、自分に妥協を許さないということですね。