「フリーランスは専門性が必要な時代」と言われることが多くなりました。でも、専門性とは、いったい何なのでしょうか。わたしはライターをしていますが、グルメに旅行におもしろ記事まで、書けそうなものは何でも手当たり次第に書いています。自分の専門性って何だろう……そんな悩みを持つフリーランスも少なくないはず。

そんなとき、ふと気付いたのです。「ニッチでオンリーワンなお仕事をしている人の生き方に、専門性を身につけるヒントがあるのでは?」と。

今回お話をお伺いしたのは、日本で初めてプロのオブローダー(廃道探索者)として生計を立てている平沼義之さん。失礼な話ですが、正直「どう稼いでいるのか」がまったく分からない職業です。そんな平沼さんにお仕事について聞いたら、「営業はしない、ライバルを見ない、他のものに浮気しない、妥協しない」と返ってきました。

マウンテンバイクを手に入れたあの日から、廃道探索の道へ

営業はしない。ライバルも見ない。プロ廃道探索者の「自己防衛の仕事術」
▲「山さ行がねが」のトップページ。「当サイトは、不用意に真似をした場合、生命に危険が及ぶ可能性のある内容を含んでいます」の注意書きがある(画像=『Workship MAGAZINE』より 引用)

少年B:
平沼さんは、2000年から「山さ行がねが」というウェブサイトで廃道や廃線跡、林道に未成道(作りかけたまま放置されている道路)などの探索レポートを行っていますよね。自己紹介には日本で初めてのプロ・オブローダー(廃道探索で生計を立てている人)と書かれていますが、どのようなお仕事を手がけているのですか?

平沼:
お金を稼ぐ手段を仕事と呼ぶなら、最も割合が多いのは「山行が」サイトの広告収入です。でも、好きなことを好きなように書いているだけなので、自分では「これが仕事だ」という意識はまったくありません。

逆に、私の中で「これは仕事だ」と感じるのは、人から依頼されて行うこと全般ですね。媒体への寄稿や、取材を受けたりするような……。ギャラの有無はあまり関係なくて、仕事は人に評価を受ける前提なので、どんな内容でもプレッシャーを感じます。逆にそれ以外の探索や執筆は、人一倍マイペースにやっていると思います。

少年B:
なるほど、仕事という意識がないからこそ楽しく続けられているんですね……! そんな平沼さんが廃道めぐりを始めたきっかけは何だったんですか?

営業はしない。ライバルも見ない。プロ廃道探索者の「自己防衛の仕事術」
▲廃道を探索する平沼さん(画像=『Workship MAGAZINE』より 引用)

平沼:
道路に興味を持ったきっかけは、小学生のころに連れてってもらった家族とのドライブです。私は幼いころに秋田に移り住んだので、基本的に移動は車なんですが、どうしても道路を移動する時間が長いんですよね。

少年B:
地方だとどうしてもそうなりますよね。東京みたいに電車もそこまで走ってないですし。

平沼:
ちょっと変わってるのかもしれませんが、私は観光地よりも、道路への興味が強かったんです。「あの道デコボコでドキドキしたな」とか、「トンネルがたくさんあってわくわくしたな」とか。

少年B:
あーっ! わかります。行くまでの道のりが楽しくなってしまうやつですね。

平沼:
そうですそうです。くわえて私は険しい山道や砂利道のようなワクワクする道が好きだったんですけど、両親は嫌がって通ってくれなかったんですよね(笑)

そこで、「あの日通れなかった道を、いつか自分でまた見たい」って気持ちが芽生えていたんだと思います。中学生になってマウンテンバイクを手に入れてからは、行動範囲が広がったので、気の合う友達と山道をよく走り回っていましたね。車じゃ絶対通れないような荒れた道を駆け巡っていました。

営業はしない。ライバルも見ない。プロ廃道探索者の「自己防衛の仕事術」
▲平沼さんは「かつて車道であった道に再び車輪の付いた乗り物を通す」というポリシーから、可能な限り自転車を用いての廃道探索を行う(画像=『Workship MAGAZINE』より 引用)

少年B:
中学生のころから、もう今のような探索をされていたんですね……!

平沼:
荒れた道の先を確かめることで、好奇心や冒険心を満たしていたんです。当時は周囲の同級生とも馴染めず、満たされない気持ちを常に抱えていたんですが、この冒険が自分を満たしてくれたし、当時から自分の居場所になっていたと思います。

そうして山道を駆け巡る生活をしていたんですが、1998年ごろにインターネットで「廃道」とか「旧道」という言葉を使って、使われなくなった道路を紹介している人たちを見つけたんです。そこで初めて、「道路探索」という趣味があることに気付いたんですよ。

少年B:
??? それまでは探索という趣味に気付いていなかったんですか?

平沼:
それまでは「そこに行くこと自体」が目的だったし、ほとんどの人にとってそこがどんな道かなんて、役に立たない情報だと思っていたんです。なので、「これを趣味として発表してもいいんだ!」と衝撃を受けたんですよ。

あと、当時見ていたサイトは「この先は危険だからやめよう」とか「これは無理だ」って言葉がよく出てきていたんですが、当時の私は自転車に変な自信があったものですから「自分ならもっと奥に、もっとヤバい道に行けるんじゃないか?」と思ったんです。そして、その成果を発表する自己表現の場としても興味を持ちました。

営業はしない。ライバルも見ない。プロ廃道探索者の「自己防衛の仕事術」
▲時には信じられない光景が広がるが、平沼さんは可能な限り踏破する(「島々谷のワサビ沢トンネル」より)(画像=『Workship MAGAZINE』より 引用)

「近いうちに必ず死ぬ」と方針転換

少年B:
そんな平沼さんのレポートの特徴といえば、探索後の机上調査です。ただ現地を探索するだけでなく、地元新聞や郷土史などを徹底的に調べて、その歴史や実態を伝えていますよね。

営業はしない。ライバルも見ない。プロ廃道探索者の「自己防衛の仕事術」
▲各種文献や古地図からの徹底した考察も魅力のひとつ(「東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道」より)(画像=『Workship MAGAZINE』より 引用)

平沼:
それはたくさんの廃道を巡り、発表を続けるうちに、一つの壁を感じた時期があったからなんです。

当初の私は廃道での冒険感を前面に押し出して、今にも崩れ落ちそうな橋や「もはや壁だろ!?」って言いたくなるような急勾配の道路に挑んでいました。ある意味では、危険自慢のようになっていたんですよね。

でも、そうすると私も読者も、求めるものはだんだんとエスカレートしがちで。気が付くと、他の人が近づかないような、危険な廃道にばかり向かっていたんです。

少年B:
確かに、そうなるとよりスリルのある、危ない道路のレポートを求めてしまいますよね。前回よりも安全なところには行けなくなってしまう……。

平沼:
自分のスタイルが変わる直接的な転機となったのは2009年~2010年ごろの探索でした。「六厩川橋攻略作戦」や「無想吊橋」、「千頭森林鉄道奥地探索」では危険な目に何度も遭い、このままではヤバいと感じたんです。プロの登山家だって何人も亡くなるのに、私はただの一般人。このままでは近いうちに必ず死ぬだろうな、と……。

営業はしない。ライバルも見ない。プロ廃道探索者の「自己防衛の仕事術」
▲転機となった探索のひとつ「無想吊橋」(画像=『Workship MAGAZINE』より 引用)

少年B:
当時、これらのレポートはワクワクしながら読みましたが、その一方で「この人、いつか本当に死ぬのでは???」とも思っていました。ご本人もそう感じていたんですね……!

平沼:
はい。でも、「最近つまんなくなったよね」「オワコンだね」と言われるのは嫌じゃないですか(笑) だから、自分の命を張る以外の分野で、サイトとしてのアイデンティティを持ちたいと思ったんです。

少年B:
クオリティを下げることなく、「冒険」だけではない方向性に変えたんですね。

営業はしない。ライバルも見ない。プロ廃道探索者の「自己防衛の仕事術」
(画像=『Workship MAGAZINE』より 引用)

平沼:
はい。廃道には冒険以外にもたくさんの魅力があります。どんな道にも、その道だけの歴史がありますよね。私は「栄枯盛衰」という言葉が好きで、かつては栄えた道が落ちぶれてしまった落差にとても惹かれるんです。

この道はなぜは生まれ、どうして廃れたのか……。その歴史はオンリーワンですし、そこを調べて書き残すことで、私個人の冒険談や体験談にとどまらない、資料的な価値が生まれると感じたんです。廃道を探索しただけだと歴史は分からないことも多いので、図書館通いが、私のもうひとつの探索の場になりました。

少年B:
なるほど……!

平沼:
そしてもうひとつ大切にしていることは、土木技術的な側面から廃道上にあるさまざまな構造物を読み解いて解説することです。冒険、歴史、技術、この3つの廃道の魅力を余すことなく伝えたいし、ひとりでも多くの読者に廃道の魅力を伝えたいんです。

仮に、冒険にしか興味がない人にも、その他の魅力の存在を伝えて、その魅力を感じてもらえたら嬉しいですし、私は廃道の魅力の一番の代弁者になりたい。そういう高い目標を持って、探索と執筆を行うように心がけています。