目次
「好きを仕事に」をあきらめた学生時代
友人と遊びに行ったイベントから、「天変地異のような」ブレイク

「好きを仕事に」をあきらめた学生時代

少年B:

空想地図とともに地理人さんは大きくなるわけですが、最初からそれで稼げていたのですか?

地理人:

いえ、最初はIT系の会社員をしていました。

少年B:

IT系!? 地図やデザインに関係ある仕事ではなかったんですか?

地理人:

そもそも「好きなことを仕事にできる」と思っていなかったんです。高校のころは街づくりをしたかったので建築系を目指していたんですが、理系コースにいったところ、見事に物理の単位を落としまして。留年の危機だったんです。びっくりですよね。

少年B:

それはびっくりですね!

7歳から始めた空想地図作りが、10種以上の仕事につながったワケ
(画像=『Workship MAGAZINE』より 引用)

地理人:

理系で留年するか、文転するかと言われて、あっさり文転を選びました。で、なるべく趣味に近いところで地理を学び、大学も地理系が学べる学部に入ったんです。

でも、地理学を学んだ人間ってそのあとどうなると思います……?

少年B:

地図会社とか、地理の先生とか……?

地理人:

はい。地図会社とか国土交通省とかもゼロではないんですが、地理を生かした進路の大半は先生や研究者。それも狭き門だから、卒業生はだいたい地理の知識を生かさない就職をします。

少年B:

地理学の受け皿が少ないんですね……!

7歳から始めた空想地図作りが、10種以上の仕事につながったワケ
(画像=『Workship MAGAZINE』より 引用)

地理人:

私は学校が嫌いなので、「知識を活かしても行き先学校じゃん!」と。それで、ここから抜けなければと思い、でも今さら理系には行けないので、街づくりのゼミがある他大学に3年次編入をしました。

少年B:

文転からの編入! そうするとそこから街づくりに……!

地理人:

はい。ゼミ以外にも街づくりの勉強をしようと思ってバイトを始めたんです。当時、立川駅の改札前で、「外来者調査」ってアンケートをしてる時期があって。これは街づくりのコンサルだなと気づき、あえてそれにひっかかって調査員に話しかけ、うまいことそのバイトに潜り込んだんです。

少年B:

注意力と行動力がすごすぎる。

7歳から始めた空想地図作りが、10種以上の仕事につながったワケ
(画像=『Workship MAGAZINE』より 引用)

地理人:

単発のアンケート調査のバイトから内勤になり、行政の街づくりプロジェクトを受注する都市設計コンサルタントで働くことになりました。

ただ、その会社がなかなかブラックで。よく社員が入れ替わっていました。そして、同時に会社だけじゃない業界の厳しさも悟ったんですね。

少年B:

業界の問題と言うと……?

地理人:

行政の街づくりは入札制なんですよね。入札のために分厚い資料を作ったとしても、結果よそが受かるということがよくあるわけです。

市町村合併で自治体は減るし、税収も少なくなるので、企業はなんとしても仕事を取らなくてはいけません。そうすると入札の競争率は上がるし、提案は増やさなきゃいけない。それが続くと、家に帰れなくなるだろうな……と。

少年B:

確かに……。

7歳から始めた空想地図作りが、10種以上の仕事につながったワケ
(画像=『Workship MAGAZINE』より 引用)

地理人:

そして、私が大学を卒業する頃には市民主導のあたらしい街づくりのかたちが出てきました。そうなると街づくりを仕事にする過程はさらに謎ですよね。市民は仕事として街づくりをするわけじゃないので。

それで、街づくりをするには、何らかの分野でプロになって、有識者として関わることが必要だなと思いまして。既存の都市計画の分野ではない、何らかのプロになって街づくりをすればいいやと考えたわけです。

少年B:

それで、まったく関係ないITの分野に就職を……!

地理人:

そうですね、「おもしろそうだな」と思ってIT系の会社に入ったんですが、入ってみたらおもしろくなかった(笑)

少年B:

(笑)

地理人:

結果、2年で会社を辞めて、そこから仕事を転々とするわけですね。地図作りでイラストレーターを使っていたので、知り合いからDTPデザインの仕事をもらったり、ネットショップのサービス絵を手伝ったり、個人で名刺作りやチラシ作りの仕事も受けてました。派遣社員をやったこともあります。

友人と遊びに行ったイベントから、「天変地異のような」ブレイク

少年B:

そこからどう地図と結びついていくんですか?

地理人:

これが繋がらないんですよ。

少年B:

えっ!? じゃあいまの活動のきっかけは何なんですか?

地理人:

2012年に友達に連れられて、「マッピングナイト3」という地図地形イベントに遊びに行ったんです。そこで街作り研究者の石川初さんや、デイリーポータルZの大山顕さんに「なんじゃこいつは!?」って覚えられまして。そこで次の「マッピングナイト4」ではしゃべる側になっちゃいまして。

少年B:

そんなことあります???

7歳から始めた空想地図作りが、10種以上の仕事につながったワケ
(画像=▲地理人さんの仕事の変遷、『Workship MAGAZINE』より 引用)

地理人:

天変地異みたいですよね。そしてTwitterで空想地図が話題になったのをきっかけに、編集者の人から「空想地図の本を出しませんか?」というメールをもらったのが2013年。その年の10月に本が出て、「タモリ?楽部」等のテレビにも出演させていただいて、このあたりから露出が増えていくわけです。

2013年までは自営業の収入は2割で、アルバイトや派遣社員の給与が8割だったんですが、どんどん割合が逆転していきました。

少年B:

当時、営業はどのようにやっていたんですか?

地理人:

自分から営業はしてないです。今もそうですが、問い合わせや友人知人からの紹介でほぼ100%ですね。

7歳から始めた空想地図作りが、10種以上の仕事につながったワケ
(画像=『Workship MAGAZINE』より 引用)

少年B:

すごい……! 地理人さんは文章やデザイン、社員研修などさまざまな仕事をしていますよね。たとえば研修とかのスキルってどうやって身につけているんですか?

地理人:

とくに研修専門のスキルがあるわけでも、必要ってわけでもないんです。地図地理が本業じゃない方に向けて「地理地図関係のこと」を喋ったりフィールドワークをしたりしているだけなので。私は地図地理にこれまで関係なかった方と地理を結びつける「プラグイン」みたいなもんです。

少年B:

プラグイン!

地理人:

なので、他にやってる人がいないところじゃないと仕事にならないんですよね。私の強みと思えるのは「自分の得意分野を、一般の人にわかりやすく説明すること」くらいなので。