アランミクリのページで、それまで個人名を冠したメガネブランドを知らない、認識していなかったと書きましたが。このブランド名は『泰八郎謹製』。前面に個人名が押し出され、しかも謹製=丁寧に作りました、というやや厳めしい印象を感じます。

作品に銘が入るものは他に何か?と思いを巡らせてみると、刀剣や包丁などの刃物であったり、日本酒の場合は醸した杜氏名が記されたものなどがあることに気付きます。

個人名を入れることで、作品への思いが込められるだけでなく作家個人の魂が乗り移ったような緊張感のあるい仕上がを感じることが出来ます。それは作家の責任であり矜持の現れなのでしょう。

泰八郎自身のこと、彼を育てた鯖江という街のこと、そして彼が素材として使い続けるセルロイドについて知りことが、『泰八郎謹製』というメガネへの理解につながると思うのです。

今回は泰八郎謹製の眼鏡を徹底解剖していきます。

目次
泰八郎とは
鯖江という街

泰八郎とは

泰八郎謹製。職人ならではの哲学が込められた逸品。
(画像=mint-kobe.jp/shopnews/8248/、『KASHI KARI』より引用)

山本 泰八郎は昭和17年福井県鯖江市生まれ。漆器職人の父を持ち、中学卒業後セルロイド職人に弟子入りしセルロイドフレームの眼鏡製作を始めます。

当時鯖江では眼鏡フレーム造りは分業、大量生産へ傾いていた時代でしたが、そんな風潮になじめなかった泰八郎は1977年に『山本手造り眼鏡製作所』をスタートさせました。

泰八郎謹製。職人ならではの哲学が込められた逸品。
(画像=mint-kobe.jp/shopnews/8248/、『KASHI KARI』より引用)

すべて手作業で丁寧に造る眼鏡フレームを造り続け、泰八郎55歳の時に金子眼鏡と知り合い「泰八郎謹製」のブランド名メガネでフレーム作り続けています

鯖江という街

福井県鯖江市は中学の社会でも取り上げられる日本における眼鏡(フレーム)生産の聖地です。なんど国内シェア96%を誇ると言いいますから驚きです。

つまり、日本製の眼鏡フレームの殆どは、この鯖江市で造られていることになります。

その歴史をさかのぼると、1900年のごく初期に農閑期の副業としてに個人が眼鏡を造り始めたという資料が残っています。明治になると、眼鏡作りも分業が進み、鯖江市の眼鏡生産の基盤ができあがっ手きます。そして、現在では世界三大眼鏡生産地といわれるまでに成長しました。

前述のとおり山本泰八郎は昭和17年、鯖江で誕生します。漆器職人を父に持ち、職人の街が育てた、生粋の職人に育っていきました。