遅ればせながら、新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて昨年は、真珠湾攻撃による日米 戦から80周年ということで、マスコミでさまざまな特集が組まれました。その中で、私が特に気になったのは、日本はなぜ、国力にあれだけ大差があることがはっきりしていた米国と戦争を始めたのか、日本の指導者たちはどこでどうしてあんな重大な判断ミスを犯したのか、という点に 心が向けられていたことです。

日本は米英にはめられた!:日米開戦外交の裏側(金子 熊夫)
(画像=真珠湾攻撃で撃沈された米戦艦(1941年12月)、『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

確かに「奇襲攻撃」という形で先に仕掛けたのは日本だし、しかも大敗を喫したのだから、「勝てば官軍」の世界では、しょせん日本が悪かったということになり、極東国際軍事法廷(東京裁判)で日本側の責任者は戦犯として処刑されました。

しかし、国家間の戦争は、人間同士の喧嘩と同じく相手のある事であって、一方がすべて善、他方がすべて悪ということはまれで、双方に言い分があるのが普通です。私が日本人だから日本の立場を殊更弁護する気はないし、東京裁判の判決自体を否定するつもりもありませんが、出来るだけ公正かつ客観的に戦争の原因や責任問題を考えてみることは必要だと思います。

そこで今回は、日米開戦80年周年の機会に、開戦に至った当時の国際政治状況を簡単に振り返り、そこから得られる教訓を日本の将来に生かすという趣旨で私見を述べてみたいと思います。とはいえ、膨大な歴史的事実を限られた紙面で綿密に分析する余裕はないので、私の独断と偏見でポイントをできるだけ絞って話を進めることにします。

ルーズベルトとチャーチルの「陰謀」

私は、一昨年8月、本紙への最初の寄稿「いつまでも『あの戦争』でよいのか?」でも述べたように、第二次世界大戦は非常に複雑なグローバルな性格を持っていたと考えています。真珠湾攻撃以後直接戦ったのは主に日米でしたが、アジアではその10年ほど前から日中戦争が始まっており、それがいわゆる太平洋戦争(大東亜戦争)にエスカレートして行きました。

また、ヨーロッパでは、日米開戦より一足先にヒットラーのナチス・ドイツのポーランド侵攻(1939年9月)により戦争が始まっていました。ドイツは破竹の勢いで、ヨーロッパ大陸(ロシアを除く)を制覇し、島国の英国だけが必死に抵抗していたものの、ドイツの猛攻の前にギリギリまで追い詰められていました。

そこで、英国のチャーチル首相は、親戚筋のアメリカのルーズベルト大統領に加勢を求めましたが、ドイツは、アメリカだけは直接攻撃しないように慎重に対処していたので、アメリカとしては、いくらイギリスを助けたくても、ドイツとの戦いに直接割って入ることはできない状況でした。元々アメリカには、建国以来の孤立主義(モンロー主義)の伝統があり、その上、第一次世界大戦(1914〜18年)に参戦して多大の犠牲を払った経験があったので、国民の間には厭戦ムードが浸透していました。ルーズベルトとしては、何とか国民を納得させてドイツとの戦争に参入するためのきっかけ(口実)が必要だったのです。

日独同盟が間違いの第一歩

ところが、そこへ日本が、ドイツ、イタリアと組んで三国同盟(1940年9月)を締結するという出来事が起きます。日本は、無敵のドイツと組めば、国際政治で優位に立ち、アジアで勢力圏を拡大しやすくなると踏んだわけです。ドイツがソ連を攻略してくれれば北からの脅威も無くなり、安心して兵力を南に投入し、マレー半島やインドネシア(当時ジャワ)の石油資源を確保しやすくなります。

日本は米英にはめられた!:日米開戦外交の裏側(金子 熊夫)
(画像=三国同盟を締結した松岡洋右外相(左)とヒトラー総統(1941年3月ベルリン)、『アゴラ 言論プラットフォーム』より引用)

事実、日本は、三国同盟締結と同時に仏領インドシナ(現在のベトナム)の北部に進駐し、一年後には南部仏印まで進出。フランス本国はすでにドイツに降伏していたので、日本軍は易々と進駐できました。サイゴン(現在のホーチミン市)からは日本軍の爆撃機がシンガポールやインドネシアへ出撃して帰還することが可能です。

そうなると、シンガポールに植民地経営の拠点を持つイギリスと、石油が豊富なインドネシアを領有していたオランダは重大な脅威にさらされます。そこで、チャーチルは、対日戦で悪戦苦闘中の中国の蒋介石と連繋して、一緒にルーズベルトに対日攻撃を強く訴えます。フィリピンを植民地化していた米国も、日本の急激な勢力拡大に危機感を感じて、それまでの日本人移民禁止などの排日措置に加えて、日本の在米資産凍結、石油禁輸などの経済制裁を強化し、ABCD(米英華蘭)包囲網を結成します(この辺は、現在の対イラン制裁のやり方に非常によく似ています)。